「神宿る島」宗像・沖ノ島と関連遺産群
こんにちは、家庭教師みつけ~るの荻原です。
今回は日本の世界遺産について詳しく見ていきたいと思います。みなさん、日本にはいくつ世界遺産があるか知っていますか??
なんと25個も認定されています!(2022年現在)
今回は「神宿る島」宗像・沖ノ島と関連遺産群について学んでいきたいと思います。
世界遺産への登録の経緯
「「神宿る島」宗像・沖ノ島と関連遺産群」は福岡県宗像市にある「沖ノ島」「宗像大社中津宮」「沖津宮遥拝所」「宗像大社辺津宮」と福津市にある「新原・奴山古墳群」で構成されています。登録面積は、構成資産が98.93ヘクタール、保護緩衝地帯は79,363.48ヘクタールです。
沖ノ島は宗像市から北西に約60キロメートル離れた場所にある島です。4世紀から9世紀にかけて国家繁栄や航海の安全を祈る祭祀が行われました。7世紀に入ると、祭祀は大島や本土でも行われるようになります。それに伴い、「中津宮」「沖津宮」「辺津宮」(3社合わせて「宗像大社」と呼ばれます)が建立されました。祭祀は宗形氏によって行われていたとされ、「新原・奴山古墳群」は宗像氏の墓と考えられています。
2009年に世界遺産の暫定リストに掲載されると、地元を中心に「「宗像・沖ノ島と関連遺産群」世界遺産推進会議」が結成されます。日本人の信仰や大規模な古代祭祀遺跡の価値が認められ、2017年に世界文化遺産に登録されました。
世界遺産に登録された理由
世界遺産の登録基準は以下の10条があります。
- 人類の創造的才能を表現する傑作。
- ある期間を通じてまたはある文化圏において、建築、技術、記念碑的芸術、都市計画、景観デザインの発展に関し、人類の価値の重要な交流を示すもの。
- 現存するまたは消滅した文化的伝統または文明の、唯一のまたは少なくとも稀な証拠。
- 人類の歴史上重要な時代を例証する建築様式、建築物群、技術の集積または景観の優れた例。
- ある文化(または複数の文化)を代表する伝統的集落、あるいは陸上ないし海上利用の際立った例。もしくは特に不可逆的な変化の中で存続が危ぶまれている人と環境の関わりあいの際立った例。
- 顕著で普遍的な意義を有する出来事、現存する伝統、思想、信仰または芸術的、文学的作品と直接にまたは明白に関連するもの。
- ひときわすぐれた自然美及び美的な重要性をもつ最高の自然現象または地域を含むもの。
- 地球の歴史上の主要な段階を示す顕著な見本であるもの。これには生物の記録、地形の発達における重要な地学的進行過程、重要な地形的特性、自然地理的特性などが含まれる。
- 陸上、淡水、沿岸および海洋生態系と動植物群集の進化と発達において進行しつつある重要な生態学的、生物学的プロセスを示す顕著な見本であるもの。
- 生物多様性の本来的保全にとって、もっとも重要かつ意義深い自然生息地を含んでいるもの。これには科学上または保全上の観点から、すぐれて普遍的価値を持つ絶滅の恐れのある種の生息地などが含まれる。
「「神宿る島」宗像・沖ノ島と関連遺産群」は2.3の基準を満たしています。どのような点が評価されたのか、わかりやすく見てみましょう。
①古代祭祀の在り方を伝える大規模な遺跡群
沖ノ島では4世紀から9世紀の500年にわたって国家的な祭祀が行われたと考えられています。4世紀は巨岩の上で祭祀が行われ、祭祀具には銅鏡、鉄剣、勾玉など古墳の副葬品と同様のものが使用されました。5世紀後半になると祭祀は巨岩の陰で行われるようになります。奉献品には海外との貿易で入手した貴重な品が備えられるようになります。8世紀になると、祭祀は露天の平坦地で行われるようになり、宗像地域で造られた祭祀用の土器などが用いられるようになりました。
沖ノ島からは500年にわたる祭祀の変遷を示す遺跡や品がほぼ手つかずの状態で発見され、古代祭祀や古代信仰の在り方とその変遷を伝える貴重なものとして高く評価されています。
②出土品からうかがえる文化交流の歴史
沖ノ島には22の祭祀遺跡があり、約8万点の祭祀遺物が出土しています。出土品の中には新羅の王陵から出土したものとよく似た指輪や、イランで造られたカットグラス碗の破片などが見つかっています。7世紀頃の遺跡からは、中国から入手した貴重な品が多数奉献されたことがわかります。
これらの出土品は朝鮮半島や中国との貿易や、シルクロードを介した交易がおこなわれていたことを示しており、日本と東アジアの文化交流の様相を伝えているとして評価されました。
③島を御神体とする信仰の継承
沖ノ島は昔から「神が宿る島」として島全体が信仰の対象となっていました。そのため、島への立ち入りが制限されるとともに、厳しい掟が敷かれていました。
7世紀になると、大島や本土でも沖ノ島と同じような祭祀が行われるようになり、海上・交通の安全を守る神様として崇敬されていた宗像三女神の信仰が生まれます。9世紀になると祭祀の中心は辺津宮へと移り、沖ノ島と宗像三女神への信仰は宗像地域に住む人々によって大切に守られてきました。
世界遺産登録にあたり、「神が宿る島」の信仰が1600年を経てもなお続いていること、それが厳格な掟によって手つかずの状態で守られてきたことは、非常に高く評価されています。
構成する5つの資産
沖ノ島(宗像大社沖津宮)
沖ノ島は島全体が御神体で、国の史跡に登録されています。御祭神は田心姫神です。豊かな自然が残っており、「沖ノ島原始林」は国の天然記念物となっています。
沖ノ島では4世紀から9世紀にかけて大規模な古代祭祀が行われました。古代祭祀の場であった巨岩の間には、現在社殿が築かれています。手つかずの状態で発見された出土品8万点は、「福岡県宗像大社沖津宮祭祀遺跡出土品・伝福岡県宗像大社沖津宮祭祀遺跡出土品」として国宝に指定されています。
沖ノ島は女人禁制の島です。また、5つの掟(「立ち入り禁止」「沖ノ島で見聞きしたことを話してはいけない」「島から一木一草一石など全て持ち出してはいけない」「神職であっても禊をしなければ島内に入ってはいけない」「島内で四足の動物を食べてはいけない」)があります。そのため、沖ノ島全体が神秘性を帯び、自然や遺跡が良好な状態で守られてきました。現在、一般人は全面入島禁止となっています。
宗像大社中津宮
宗像大社中津宮は宗像市神湊から7キロメートル離れた宗像市大島にあります。御祭神は湍津姫神です。御嶽山山頂では沖ノ島と共通する露天の祭祀が行われていました。世界遺産には御嶽山祭祀遺跡やそこに至るまでの参道も登録されています。
宗像大社沖津宮遥拝所
宗像大社沖津宮遥拝所は大島にあり、通常立ち入りが禁止されている沖ノ島を遥拝(遠くから拝むこと)するために建てられました。「宗像神社境内」として国の史跡に指定されています。
宗像大社辺津宮
宗像大社辺津宮は宗像市田島にある、宗像三女神信仰の中心地です。御祭神は市杵島姫神です。高宮祭場は沖ノ島と同じ祭祀が行われていた場所であり、現在も神事が行われています。本殿は国の重要文化財に指定されています。
新原・奴山古墳群
新原・奴山古墳群は沖ノ島の祭祀を行っていた宗像氏の墳墓群と考えられています。宗像氏は宗像地域から玄界灘全域を支配していたとされ、東アジア地域と文化交流などを行っていたと考えられています。宗像三女神を祀る社も、この交易ルート上にあることがわかっています。
古墳は5世紀後半から6世紀後半のものと推定され、41基が残っています。古墳からは海を見渡すことができ、沖ノ島をはじめ海の神々を信仰する人々の想いをうかがい知ることができます。
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