【日本】九月の和名とイベントについて

こんにちは。家庭教師みつけ~るの荻原です。
前回に引き続き、みなさんに馴染みのある日本の月の和名について、各月の代表イベントと一緒に解説していくシリーズ第9弾!


本記事は九月特集です。
内容を読んで知っていた人、もっと知りたい人はこのシリーズの他の記事もぜひ見てみてくださいね。
それでは解説して行きましょう!

【秋】日本の九月:長月(ながつき)

現在のグレゴレオ暦ではなく、旧暦の太陰太陽暦では、日本の九月は「長月(ながつき)」と呼ばれていました。

現在でも和名として親しまれている「長月」ですが、その由来は秋に関係しています。

夏の季節が終わると、秋の季節がやってきますよね。

夏は「夏至」という一年で最も昼間が長い一日があるほど、日光の出ている時間が一番長い季節であり、秋はその時間がどんどん無くなって夜の時間が長くなり始める時期です。

そのため、旧暦の9月では現在の10月頃と同じような日の暮れだったことから、「夜の長くなる月」として「長月」と呼ばれるようになったという説がとても有名です。

また同じような意味合いで「夜長月(よながづき)」と呼ばれていたとも言い伝えられています。

どちらにせよ夜に趣を感じる季節として親しまれてきたのですね。

【九月のイベント】お月見

日本の9月では、毎年15日の「十五夜(じゅうごや)」に夜空に浮かぶ月を見ながら、「お月見団子」を食べるお月見イベントがあります。

その由来は中国に関係していました。

時代は平安時代。当時の中国「唐」では、毎年8月15日(現在の9月15日)の夜に、秋の豊作を祝って自然に感謝する宴を開いていました。

それが平安時代の日本へ伝わり、当時の貴族たちが同じように催したのが始まりと言われています。

秋は農作物が最もよく育ち、それらを収穫する季節だったため、日本ではこのイベントがとても馴染み深く浸透していきました。

現在のお月見では、すすきを飾り、当時の収穫物から作ったお月見団子をお供えして、自然の恵みに感謝する風習ですが、当時も同じようにすすきや農作物を使った自然への感謝を示していたと言われています。

「すすき」とはイネ科ススキ属の植物の一種で、細かい毛束のような穂が茎の先についており、比較的色々な地で多く見られます。

当時から、災いや邪気を払い除け、来年も滞りなく豊作となるように願いを込めて、十五夜の夜にお月見の風物詩として飾り供えられてきました。

「お月見団子」とは、お餅を約2cmほどの球体に小さく丸めて作り、「三方(さんぼう)」という木製の土台にのせたものです。

十五夜には15個、十三夜には13個、という風にその日に合わせて個数を作ります。

お供えし終わったら、健康祈願や安泰祈願を目的として、お餅を少しずつ1個ずつ食べていきます。

当時の人々は収穫物であるお米から「米粉」を作り、そこから練ってお餅を作っていたと言われています。

現代では、三方を持っているご家庭は少ないため、お皿や紙の上にのせて食べても良いとされています。

お月見にうさぎが用いられる理由

皆さんの周りでは、お月見の季節が近づくと、あたりに月夜を背景にうさぎが描かれた装飾が施されていたりしませんか。

これまでお話ししたお月見の歴史に、うさぎは出てきませんでしたが、実は、お月見とうさぎは関係ないわけではないのです。

諸説ありますが、その理由は大きく2つあります。

お月様の模様?

お月見によくうさぎが用いられるのは、月の模様が関係しているからだという説があります。

月には、「クレーター」という小さい隕石などがぶつかって出来た凸凹がいくつもあります。

近くで見ると大きい凹みのようなものですが、地球から見ると日の光の影響で全体像が模様のように見えます。

国によってはその模様がカニだったり長髪の女性だったりと、捉え方が異なり、日本では古くから「うさぎが餅をついている」ように見えると認識されてきました。

そこから、お月見の時期にも月見背景にうさぎがぴょんぴょん跳ねているイラストやお餅をついているイラストが多く出回るようになったと言われています。

「今昔物語集(こんじゃくものがたり)」から…

お月見によくうさぎが用いられるのは、「今昔物語集」のあるお話が広まったからだという説もあります。

このお話は「今昔物語集」の5巻・第13話の「月の兎」というお話です。

天竺(現在のインド)には、修行をしている狐・猿・兎の3匹の動物がいました。
善い心掛けをする3匹の動物を見て、仏教の守護神の1人「帝釈天(たいしゃくてん)」は感心し、老人に化けて試そうと決めます。
家もお金も子供も食料もないかわいそうな老人に化けた帝釈天は、3匹に「自分を養ってほしい」と頼みます。
3匹は快諾し、それぞれできることをしました。
狐は、墓や小屋に行っては、お供え物であったご飯やお餅、たくさんの魚介を持ってきて老人に食べさせました。
猿は、木によじ登って果物を取り、また人間の里に出てきては野菜や作物を取ってきては老人に食べさせました。
しかし、兎はいくら時間と労力をかけて各地を探し回っても、目当てのものを見つけられませんでした。
後がなくなった兎は、「山や里に行って他の動物や人間に狙われて命を無駄にするなら、自らを老人に食べさせよう」と決意します。
その後、兎は、狐に火を付ける役を、猿に木を取ってくる役を頼み、全員が集まった際に木に火を付けさせます。
そして、自身は食料を見つけることができないから、その身をもって老人に食べさせることを伝えると、火の中に入っていき焼かれてしまいました。
兎の心の痛い善行を見て、老人になっていた帝釈天は姿を戻し、大きく痛感します。
そしてこのことを世界の人々が知り、忘れぬように火の中で焼かれた兎を月の中に移したのです。

このお話から、月の中には兎がおり、月に雲がかげるのも兎が焼かれた時の煙だと言われるようになったそうです。

皆さんがこの説をどう感じるのかは分かりませんが、日本では古来から月にうさぎを見ていたんですね。

いかがでしたでしょうか。
月の和名や各月のイベントは、これからの国際化で話題に出せるような題材です。
もし、みなさんが海外の方と親しくする機会があったら、是非教えてあげてくださいね。

それでは、次回の「【日本】十月の和名とイベントについて」でお会いしましょう!

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