世界でも珍しいキリスト文化、長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産

こんにちは、家庭教師みつけ~るの荻原です。
今回は日本の世界遺産について詳しく見ていきたいと思います。みなさん、日本にはいくつ世界遺産があるか知っていますか??
なんと25個も認定されています!(2022年現在)

今回は長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産について学んでいきたいと思います。

世界遺産への登録の経緯

「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」は長崎県と熊本県に点在する12の資産によって構成されています。登録面積は、構成資産が5,566.55ヘクタール、保護緩衝地帯が12,252.52ヘクタールです。

日本にキリスト教が伝来したのは1549年のことです。その後九州地方を中心にキリスト教を信仰する大名が現れ、キリシタン文化が栄えました。江戸時代に入ると徳川幕府による禁教令により、キリスト教が厳しく弾圧されるようになります。しかしながら信者たちは信仰を捨てるのではなく、「潜伏キリシタン」となって共同体との関わりを維持しながら密かに信仰を守り続けました。1953年に大浦天主堂が国宝に指定されています。
隠れキリシタンに関する資産はキリスト教が伝来し、その後数世紀に渡って潜伏信仰を続け復活するというという世界にも類を見ないカトリック布教の歴史を示しています。2001年から世界遺産登録を目指す動きが始まり、2007年に暫定リストに掲載されます。
登録を審議する会議ではキリスト教国・非キリスト教国ともに肯定的な意見が多く、2018年に世界文化遺産に登録されました。

世界遺産に登録された理由

世界遺産の登録基準は以下の10条があります。

  1. 人類の創造的才能を表現する傑作。
  2. ある期間を通じてまたはある文化圏において、建築、技術、記念碑的芸術、都市計画、景観デザインの発展に関し、人類の価値の重要な交流を示すもの。
  3. 現存するまたは消滅した文化的伝統または文明の、唯一のまたは少なくとも稀な証拠。
  4. 人類の歴史上重要な時代を例証する建築様式、建築物群、技術の集積または景観の優れた例。
  5. ある文化(または複数の文化)を代表する伝統的集落、あるいは陸上ないし海上利用の際立った例。もしくは特に不可逆的な変化の中で存続が危ぶまれている人と環境の関わりあいの際立った例。
  6. 顕著で普遍的な意義を有する出来事、現存する伝統、思想、信仰または芸術的、文学的作品と直接にまたは明白に関連するもの。
  7. ひときわすぐれた自然美及び美的な重要性をもつ最高の自然現象または地域を含むもの。
  8. 地球の歴史上の主要な段階を示す顕著な見本であるもの。これには生物の記録、地形の発達における重要な地学的進行過程、重要な地形的特性、自然地理的特性などが含まれる。
  9. 陸上、淡水、沿岸および海洋生態系と動植物群集の進化と発達において進行しつつある重要な生態学的、生物学的プロセスを示す顕著な見本であるもの。
  10. 生物多様性の本来的保全にとって、もっとも重要かつ意義深い自然生息地を含んでいるもの。これには科学上または保全上の観点から、すぐれて普遍的価値を持つ絶滅の恐れのある種の生息地などが含まれる。

「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」は3の基準を満たしています。どのような点が評価されたのか、わかりやすく見てみましょう。

①潜伏信仰の歴史

1549年にキリスト教が伝来すると、長崎の街を中心にキリスト教文化が栄えます。1563年に大村の領主である大村純忠が日本初のキリシタン大名となり、織田信長はキリスト教を保護しました。しかし、植民地化への危機や政治体制の維持などの理由から、1587年にバテレン追放令が、1614年に禁教令が出されます。キリスト教の信者は強制的に仏教徒に改宗させられたものの、一部の信者は長崎に潜伏し、宣教師がいない・教会などの宗教施設がない状態でありながら、密かに信仰を守り続けました。
鎖国が解かれた後、1865年に大浦天主堂が開館すると、潜伏キリシタンの女性がキリスト教徒であることを告白します。厳しい弾圧によってキリスト教徒がいなくなったと思われていたため、潜伏キリシタンの発見は「東洋の奇跡」として現在まで語り継がれています。

宣教師の活動によってキリスト教が伝わったこと自体は珍しいことではありません。しかしながら、厳しい弾圧の中、250年にわたって隠れて信仰を守ったというストーリーに価値があるのです。

②潜伏信仰の文化

潜伏キリシタンは、表向きは仏教徒を装いながらキリスト教を信仰し続けました。そのため、世界では見られない独自の信仰文化が形成されます。

潜伏キリシタンは神社、神棚、仏壇などに自分たちが信仰する神を祀り、祈りを捧げました。また、教会などの宗教施設を建てることができなかったため、山や島などの自然を神聖な場所として信仰を行いました。潜伏キリシタンの信仰は、日本古来の自然崇拝や神仏信仰と融合した独自の信仰形態であったのです。

潜伏キリシタンたちは共同体として集落を形成しています。潜伏キリシタンの集落は幕府の目が届きにくい沿岸部や離島を中心に形成され、その場所で幕府の社会制度や日本古来の宗教を受け入れつつ、自分たちの信仰を守り通したのです。
潜伏キリシタンの集落は、独自の伝統や信仰の在り方が見られる世界でも珍しい例として評価されています。

長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産

「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」は長崎県にある「原城址」「平戸島の聖地と集落(春日集落と安満岳)」「平戸島の聖地と集落(中江の島)」「外海の出津集落」「外海の大野集落」「黒島の集落」「野崎島の集落跡」「頭ヶ島の集落」「久賀島の集落」「奈留島の江上集落(江上天主堂とその周辺)」「大浦天主堂」の11の資産と、熊本県にある「天草の崎津集落」の計12の資産によって構成されています。

「原城址」は1637年に島原・天草一揆の舞台となった場所であり、潜伏キリシタンの歴史が始まった場所です。
「平戸島の聖地と集落(春日集落と安満岳)」「平戸島の聖地と集落(中江の島)」「外海の出津集落」「外海の大野集落」「黒島の集落」「野崎島の集落跡」「頭ヶ島の集落」「久賀島の集落」「天草の崎津集落」は、潜伏キリシタンが独自の形で密かに信仰を続けた集落または共同体を形成した集落であり、潜伏キリシタンの歴史や独自の文化を伝えています。
「奈留島の江上集落」と「大浦天主堂」は潜伏キリシタンが発見され、潜伏信仰が終わりを迎えたことを物語っています。

「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」は建築物ではなく、集落が主体となって構成されています。その背景には潜伏の歴史や独自の信仰の在り方が重視されたことが挙げられ、隠れ住んでいた集落に価値があると判断された結果と言えるでしょう。

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