2022 FIFAワールドカップ出場国について調べよう~クロアチア編~
こんにちは、家庭教師みつけ~るの服部(ふくべ)です。今年はワールドカップイヤーですね。SAMURAI BLUEの活躍が楽しみです!
ところでワールドカップには様々な国が出てきますね。良い機会なので、全部で32国の歴史などを学んでいきたいと思います。
今回は、グループFのクロアチアについて紹介していきたいと思います。
クロアチアの基本情報
公用語 | クロアチア語 |
首都 | ザグレブ |
面積 | 5.659万km² |
人口 | 約406.8万人 |
通貨 | クーナ |
宗教 | カトリック、セルビア正教等 |
政治体制 | 共和制 |
クロアチア共和国は南ヨーロッパに位置しています。国土は本土と飛び地によって構成されていて、本土はハンガリー、スロベニア、セルビア、ボスニア・ヘルツェゴビナと国境を接しており、南側はアドリア海に面しています。飛び地はボスニア・ヘルツェゴビナとモンテネグロと国境を接しています。
沿岸部は地中海性気候に属していて、比較的過ごしやすいです。一方で内陸部は大陸性気候に属し、夏は快適なものの冬場は厳しい寒さになることがあります。
首都・ザグレブはクロアチア最大の都市で、政府機関や行政機関が立ち並ぶほか、商業や工業などの産業が集中しています。また、中央ヨーロッパとアドリア海を繋ぐ交通の要衝に位置しており、クロアチア国内の高速道路の要衝としても機能しています。
クロアチアの政治体制は共和制です。国家元首である大統領は国民の直接選挙によって選ばれます。大統領は軍の最高司令官であるものの、独断で首相を任命する権利や議会の解散権を持たず、儀礼的な立場にとどまっています。
議会は一院制で、比例代表制によって選出されます。
主な産業は、観光業、製造業、不動産業などです。
クロアチアは「美しい国」と呼ばれるほど自然や景観が豊かです。外貨獲得のため、観光資源を利用した観光業に力を入れています。クロアチアの代名詞であるドブロブニク旧市街や、絶景を誇るプリトヴィッツェ湖群国立公園はともに世界遺産に登録され、クロアチア最大の観光スポットとなっています。
クロアチアの歴史
古代
旧石器時代から人類が住んでいた痕跡が残っています。紀元前4世紀頃にギリシャ人が進出します。紀元前2世紀にはローマ帝国が進出し、ローマの属州となります。
7世紀頃 になるとスラブ人がバルカン半島に進出し、クロアチアの地に住みつきます。
9世紀にはフランク王国に支配され、この時代にカトリックが布教されました。
10世紀前半にはトミスラブがクロアチアを統一し、クロアチア王国を建国します。
中世
15世紀にオスマン・トルコ帝国に征服され国土の大半を失いました。1527年、残された領土はハプスブルグ家の支配下に入り、ハプスブルク領クロアチア王国となります。17世紀から18世紀の時間をかけて、クロアチアの領土を徐々に取り戻していきます。
独立までの歩み
1918年に第一次世界大戦が終わり、オーストリア・ハンガリー帝国が崩壊すると、セルビア人、クロアチア人、スロベニア人たちが集まってセルブ=クロアート=スロヴェーン王国が成立します。1929年にユーゴスラビア王国と改名しました。
様々な民族が共同して生活していたものの、不満をもったクロアチアの勢力が1941年にクーデターを起こし、クロアチア独立国を建国します。クロアチア独立国はナチス・ドイツと同盟を結び、第二次世界大戦に突入していきます。1945年5月ドイツの降伏によって、枢軸国の一つであったクロアチア独立国も消滅しました。
消滅後、ソ連の支援を得た社会主義指導者のヨシップ・ブロズ・チトーの指導のもと、ユーゴスラビアとクロアチアの人々はまた一つの国となり、ユーゴスラビア社会主義連邦共和国ができあがります。その間、現在のクロアチアの首都であるザグレブを中心に、経済的発展をとげました。
しかし、クロアチアの人々の独立を望む声は消えることはなく、1971年に「クロアチアの春」と呼ばれる抗議デモが発生します。このデモは鎮圧されますが、独立の機運は消えることはありませんでした。
1980年にカリスマ的存在であったチトーが亡くなると、再び民族独立の空気が高まり、1991年にクロアチア共和国として独立を宣言します。セルビア人を主体とする政府はクロアチアの独立を認めないとしてユーゴスラビアの軍隊を使って攻撃を行い、クロアチア紛争が勃発します。4年間にわたる紛争で国土の全てが戦場となり、日常と戦争が一体となった悲惨な時代が続きました。惨状を見かねたNATOの介入もあり、1995年デイトン合意が調印され、ようやく内戦は終結しました。
2013年7月にはEUに加盟し、現在は産業や観光業などに力を入れ、発展を遂げています。
日本とクロアチアの関係
クロアチアと日本の関係は、日本が1992年3月にクロアチアを国家として承認し、1993年3月に国交が樹立されました。
1993年に駐日クロアチア大使館が、1998年に駐クロアチア日本大使館が開設されました。
外交関係の歴史は長くないものの、日本人観光客が多く訪れるなど、友好な関係を築いています。
京都市とザグレブ市、川崎市とリエカ市、碧南市とプーラ市がそれぞれ姉妹関係にあります。
政治関係
国交樹立以来、順調に関係を築いています。直近では2019年8月に河野太郎外務大臣がクロアチアを訪れています。
東日本大震災の際にはクロアチアの人々の協力によって義援金が送られ、また駐クロアチア日本大使館の前で人々が献花しました。
経済関係
クロアチアの主な貿易相手国は欧州諸国であり、日本との貿易が貿易収支に占める割合は高くありません。
日本はクロアチアに自動車、一般機械、鉄鋼などを輸出しています。
クロアチアは日本にクロマグロ、化学製品、衣類などを輸出しています。クロマグロは対クロアチア輸入総額の5割を占めています。
貿易収支は日本の赤字です。
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