愛で時代を切り拓いた男、西郷隆盛

こんにちは家庭教師みつけ~るの鳥飼です。
日本の歴史登場人物を学ぼうシリーズ。今回は西郷隆盛について学んでいきたいと思います。

幕末に活躍し、明治維新を成しとげた西郷隆盛。
2018年には、NHK大河ドラマ「西郷どん」でも取り上げられました。
皆さんも一度はその名前を聞いたことがあるのではないでしょうか?

西郷隆盛ってどんな人?

西郷隆盛

生年月日:1827年12月7日

死亡年月日:1877年9月24日(享年51歳)

出生地:薩摩藩(現在の鹿児島県)

薩長同盟を結び、江戸無血開城などを成し遂げた明治維新の立役者。

西郷隆盛年表

西暦出来事
1827年鹿児島城下・下鍛冶屋町に生まれる。
幼名を小吉と名乗る。
1850年農政改革にまつわる建白書を、薩摩藩主・島津斉彬に提出する。
1854年参勤交代で斉彬に従い江戸へ訪れる。
水戸藩士であり儒学者の藤田東湖を訪ね、国事について教えを受ける。
1858年僧月照と錦江湾で入水自殺を図る。
その後、奄美大島の龍郷へ配流される。
1862年鹿児島に帰国するも、久光の命令にそむき、沖永良部島に配流される。
1864年禁門の変で薩摩藩兵を指揮して長州郡を破る。
1866年坂本龍馬らの仲介で、薩摩藩と長州藩が薩長同盟を結ぶ。
1868年江戸幕府の勝海舟と交渉して、江戸城の開城に力を尽くす。
1871年岩倉使節団が視察のため欧米へ出発する。その間西郷隆盛は、留守政府を任される。
1873年朝鮮への施設派遣が中止となり、辞表を提出する。故郷の鹿児島へ帰る。
1874年鹿児島に私学校を設立する。
明治政府より、国政への復帰を要請されるが拒否する。
1877年隆盛は西南戦争を起こすが、政府軍の総攻撃により、城山で自殺する。

西南戦争

西南戦争とは、1877年2月から9月にかけて起きた士族反乱のことです。
鹿児島県の私学校生を中心とした薩摩士族が、西郷隆盛をリーダーとして反乱を起こしました。

士族が不満を感じた大きな原因の一つとして、経済的基盤の揺らぎが考えられます。
当時、明治政府は人口わずか5%の士族に対して、国家予算の約4割に当たる給料を与えており、財政困難に陥っていました。
その状況を変えるべく、秩禄処分、金禄公債条例発布などを行い、士族への給料を大幅に削減したのです。
この経済的困窮によって、士族の明治政府に対する不満が溜まっていったのです。

熊本城や田原坂の戦いなどを経て、追い詰められた薩摩軍は鹿児島の城山へと戻ってきます。
そして1877年9月24日、政府軍による総攻撃が開始されました。
そして、最後の城山での戦いで西郷隆盛は自刃し、西南戦争は終わりを迎えるのです。

西南戦争は日本史上、最大で最後の内戦として知られています。

そして、武士の世に終止符を打った戦いとも言われています。

西郷隆盛は大柄だった

諸説ありますが、西郷隆盛の身長は179㎝、体重は109㎏だったと言われています。
江戸時代末期における成人男性の平均身長は155㎝くらいだったとされているので、当時も周りと比べるとかなり大柄だったと考えられます。

西郷は脂身の多い肉や鰻の蒲焼きが好物で、それに加えて甘党だったそうです。
ドイツ人医師のホフマンからは、肥満の診断を受けています。
それをきっかけに、食事療法や狩猟など運動を行うようになったそう!

また、愛犬家としても有名な西郷隆盛ですが、犬に肉をあげすぎた結果、猟犬までが肥満体となってしまったという逸話もあるほどです。

現代で考えても、かなり大柄な体型ですよね!

なお、坂本龍馬は172㎝、中岡慎太郎は153㎝くらいであったのではないかとされています。

いかがでしたでしょうか?西郷隆盛について理解が深まりましたでしょうか??
少しでも「面白いな」とか「分かりやすい」と思ってくれたら嬉しいです!

家庭教師のみつけ~るでは勉強でお困り方にぴったりの家庭教師会社を紹介するサービスを行っています。
早く・簡単・お得に家庭教師を見つけたい方におすすめのサービスです。是非一度ご利用ください。

あなたのためだけの家庭教師が見つかります!最短入力1分!診断スタート
あなたのためだけの家庭教師が見つかります!最短入力1分!診断スタート

あなたにピッタリの家庭教師会社をカンタン診断!

成績アップや苦手克服など、お子さんの目標を達成するためには、相性や目的にあった家庭教師会社を選ぶことが重要です。

みつけ~るのカンタン診断は、質問に答えるだけでお子さんと相性の良い家庭教師会社を絞り込んでご紹介します。

診断にかかる時間は最短1分!お気軽に診断ツールをご活用ください。