かつて沖縄にあった王国、琉球王国のグスク及び関連遺産群
こんにちは、家庭教師みつけ~るの荻原です。
今回は日本の世界遺産について詳しく見ていきたいと思います。みなさん、日本にはいくつ世界遺産があるか知っていますか??
なんと25個も認定されています!(2022年現在)
今回は琉球王国のグスク及び関連遺産群について学んでいきたいと思います。
世界遺産への登録の経緯
「琉球王国のグスク及び関連遺産群」は沖縄県の本島に点在する「今帰仁城跡」「座喜味城跡」「勝連城跡」「中城城跡」「首里城跡」「園比屋武御嶽石門」「玉陵」「識名園」「斎場御嶽」の9つの史跡によって構成されています。登録面積は、構成資産が54.9ヘクタール、保護緩衝地帯が559.7ヘクタールです。
琉球王国は1429年から1879年まで続いた王国で、沖縄本島を中心に沖縄諸島などを統治していました。グスクは一般的にいう城のことで、軍事要塞のみならず居城や礼拝所として使用されていたと考えられています。
太平洋戦争の戦禍により、グスクに建てられていた建物は全て破壊されました。戦後は1957年に園比屋武御嶽石門が再建されるなど、再建の動きが高まります。1972年に沖縄が返還されると、玉陵、園比屋武御嶽石門が重要文化財に、今帰仁城跡、座喜味城跡、中城城跡、勝連城跡、首里城跡、玉陵、斎場御嶽が史跡に、識名園が名勝に指定されました。グスクには琉球王国独自の歴史や文化があらわれているとして、2000年に世界文化遺産に登録されました。
世界遺産に登録された理由
世界遺産の登録基準は以下の10条があります。
- 人類の創造的才能を表現する傑作。
- ある期間を通じてまたはある文化圏において、建築、技術、記念碑的芸術、都市計画、景観デザインの発展に関し、人類の価値の重要な交流を示すもの。
- 現存するまたは消滅した文化的伝統または文明の、唯一のまたは少なくとも稀な証拠。
- 人類の歴史上重要な時代を例証する建築様式、建築物群、技術の集積または景観の優れた例。
- ある文化(または複数の文化)を代表する伝統的集落、あるいは陸上ないし海上利用の際立った例。もしくは特に不可逆的な変化の中で存続が危ぶまれている人と環境の関わりあいの際立った例。
- 顕著で普遍的な意義を有する出来事、現存する伝統、思想、信仰または芸術的、文学的作品と直接にまたは明白に関連するもの。
- ひときわすぐれた自然美及び美的な重要性をもつ最高の自然現象または地域を含むもの。
- 地球の歴史上の主要な段階を示す顕著な見本であるもの。これには生物の記録、地形の発達における重要な地学的進行過程、重要な地形的特性、自然地理的特性などが含まれる。
- 陸上、淡水、沿岸および海洋生態系と動植物群集の進化と発達において進行しつつある重要な生態学的、生物学的プロセスを示す顕著な見本であるもの。
- 生物多様性の本来的保全にとって、もっとも重要かつ意義深い自然生息地を含んでいるもの。これには科学上または保全上の観点から、すぐれて普遍的価値を持つ絶滅の恐れのある種の生息地などが含まれる。
「琉球王国のグスク及び関連遺産群」は、2,3,6の基準を満たしています。どのような点が評価されたのか、わかりやすく見てみましょう。
①琉球王国の歴史や文化を見出すことができる
琉球では11世紀頃から按司と呼ばれる豪族たちによる階級社会が始まりました。1322年頃から1429年にかけて按司たちによる群雄割拠の時代が訪れます。この頃のグスクは、按司の居城、または防衛拠点など要塞の役割を担っていたと考えられています。
琉球は中国と朝貢貿易を行ってきました。1429年に尚巴志が統一王朝を建国すると、中国、日本、朝鮮、東アジアと中継ぎ貿易を行いながら独自の文化を築いていきます。グスクには諸国との文化交流の痕跡を見出すことができます。
琉球王国の歴史や文化を示す建築物は太平洋戦争の戦禍によって破壊され残っていません。そんな中、グスクの城壁や建物の遺構は、琉球の歴史や文化を伝える貴重な資料として高く評価されています。
②琉球王国の文化の独自性
琉球は中国への朝貢や中継ぎ貿易を通じて独自の発展を遂げた国であり、「琉球王国のグスク及び関連遺産群」は琉球独自の文化を現代に伝えているとして評価されました。
各グスクは琉球で採取できる素材を用いつつ、建築技術の面では中国や東アジアの影響が見受けられます。
識名園は日本の庭園技術である廻遊式庭園を基に、中国式の庭園様式や琉球石灰岩などが用いられています。
③信仰の独自性
グスクはもともと自然神への崇拝や先祖供養など祈りの場でした。グスクの中には「御嶽」「拝所」と呼ばれる遙拝所が必ず備わっています。御嶽は琉球の人々にとって神聖な場所で、祭祀が執り行われていました。「琉球王国のグスク及び関連遺産群」に登録されている斎場御嶽は、最も神聖な御嶽として現在でも信仰されています。
グスクは古から現在まで人々の精神的な拠り所であり、琉球の精神文化を伝えているのです。
「琉球王国のグスク及び関連遺産群」を構成する9つの史跡
今帰仁城跡
今帰仁城跡は12世紀から13世紀頃に築城されました。北山の国王・北山王の居城と伝わっています。県内最大級のグスクの一つで、1500メートルもの美しく長い城壁は、当時の高い建築技術が見受けられます。
座喜味城跡
座喜味城跡は15世紀初頭に護佐丸によってつくられました。石をカーブを描きながら積み上げる技術は緻密性に富んでおり、美しいグスクの一つとして知られています。
勝連城跡
勝連城跡は14世紀初頭に築城されました。貿易を推進し繁栄した阿麻和利の城です。小高い丘の上にあり、約40メートルの高低差があるため、城壁はスロープのように大きなカーブを描き、階段も備えられています。出土品からはローマやオスマン帝国の貨幣が発見されています。
中城城跡
中城城跡は14世紀後半ごろに築城された護佐丸の居城です。太平洋戦争による破壊が少なかったことから、石垣の約8割は築城当時のまま残されており、グスクに用いられた建築技術を現在まで伝えています。
首里城跡
首里城跡は14世紀末に築城されました。最大級のグスクの一つで、琉球王朝の居城です。また、行政機関や祭場としての役割もありました。
建物は太平洋戦争によって消失しています。1992年に再建されるものの、2019年に火災によってふたたび失われました。首里城跡は首里城の遺構としての価値を認められており、世界遺産登録には影響がありませんでした。
園比屋武御嶽石門
園比屋武御嶽石門は尚真によって1519年に建てられました。国王が外出する際に安全祈願のための礼拝をおこなうなど、国家の拝所として利用されました。木造部分をのぞき琉球石灰岩が用いられています。
玉陵
玉陵は琉球王朝の墓所で、第二尚氏王朝の第三代尚真王が父・尚円王を葬るために作りました。沖縄の墓の形式がよく表れていて、自然の石や珊瑚の破片などが用いられています。
識名園
識名園は1799年に、国王の別邸としてつくられました。日本風の廻遊式庭園の中に中国風の建物や南国の植物などが配置された独特の景観が魅力です。当時は中国の使者をもてなす場として利用されました。
斎場御嶽
斎場御嶽は最も神聖な御嶽で、琉球王国最高の聖地です。国家の最高女神である「聞得大君」の即位式もここで行われました。
琉球の創世神であるアマミキヨが作ったという伝承が残っており、現在も多くの人が祈りを捧げるために訪れます。沖縄の人々の信仰や精神文化が今日まで生き続ける場所です。
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