2022 FIFAワールドカップ出場国について調べよう~ウルグアイ編~

こんにちは、家庭教師みつけ~るの服部(ふくべ)です。今年はワールドカップイヤーですね。SAMURAI BLUEの活躍が楽しみです!
ところでワールドカップには様々な国が出てきますね。良い機会なので、全部で32国の歴史などを学んでいきたいと思います。

今回は、グループHのウルグアイについて紹介していきたいと思います。

ウルグアイの基本情報

公用語スペイン語
首都モンテビデオ
面積17.6万km²
人口約349万人
通貨ウルグアイ・ペソ
宗教キリスト教
政治体制立憲共和制

ウルグアイは正式名称をウルグアイ東方共和国といいます。南アメリカ大陸の南東部に位置していて、ブラジル、アルゼンチンと国境を接しています。西部は大西洋に面しています。

首都・モンテビデオは最大の都市で、人口の3分の1近くが住んでいます。ウルグアイ最大の貿易港を有しており、貿易の要所にもなっています。また、南米南部共同市場(メルコスール)の本部も置かれています。
コロニア・デル・サクラメントはウルグアイで2番目に古い都市であり、植民地時代にはポルトガルの貿易拠点として栄えました。スペイン・ポルトガル両国の面影が残る歴史的な街並みは世界遺産に登録されています。

政治体制は立憲共和制で、国家元首は大統領です。大統領は国民投票によって選出され、再選は禁止されています。
議会は二院制で、上院の議長は副大統領が兼任しています。

主要な産業は、農牧業、製造業(特に商品加工)、サービス業などです。
輸出品の多くは大豆、牛肉、コメなどです。特に牛の飼育に力を入れており、人口より牛の数が多いと言われることがあります。近年では牧場見学が観光の目玉になっています。
ウルグアイの人々が好んで飲むマテ茶はミネラル分が豊富であることから、日本でも注目されつつあります。

ウルグアイの歴史

古代

ウルグアイは南米で栄えたインカ帝国の影響が直接及ばなかったこともあり、チャルーア人や、原始的な農耕を行うグアラニー人たちが、狩猟や農耕などの原始的な生活を営んでいたと考えられています。

中世

1471年にポルトガル人によって発見されます。ポルトガル人は金をめぐる交易拠点とするため、エルミナの街に港と要塞を築きます。このときに作られたエルミナ城は、サハラ以南に作られた最古のヨーロッパ建築として知られています。エルミナを拠点に奴隷貿易が行われ、多くの人々がアメリカ大陸に連れていかれました。
1670年に、奴隷貿易によって富を手にしたアシャンティ族が、ガーナ内陸部にアシャンティ王国を建国します。アシャンティ王国は順調に領土を拡大するものの、19世紀に奴隷貿易が禁止されると打撃を受け、イギリスとの戦争によって衰退していきます。

スペインによる支配

1516年にスペインの冒険家・フアン・ディアス・デ・ソリスがこの地を発見しました。続いて、1520年にフェルナンド・マゼランがラプラタ川を船でさかのぼり、小高い丘を発見しました。このときにポルトガル語で「山を見た!(Monte Vide Eu!)」と叫んだことが、現在の首都・モンテビデオの由来となりました。
1574年にスペイン人が入植地を建設し、1603年に家畜の放牧を開始します。家畜が大量に増えるとスペインとポルトガルの間で争いが起こり、両国が相次いで植民都市を建設します。最終的にはスペインが支配を行うようになりました。

独立への動き

フランス革命が起こると、スペインはフランスと同盟をくみます。これを受けて、ウルグアイの地も戦いに巻き込まれることとなり、イギリス軍に侵略されます。1806年にモンテビデオを占領されるものの翌年に退けました。
1810年に起きたアルゼンチンでの独立戦争に呼応して、ウルグアイの地でも独立運動が起こります。しかし、両者の独立運動の間にはかみ合わないものがあり、その隙をついてポルトガルの侵略が行われ、ウルグアイの地は1821年にポルトガルの植民地であるブラジルに併合されてしまいます。ブラジルが独立を果たすとウルグアイの地もその一部となります。ブラジルとアルゼンチンの間でこの地をめぐった争いが起こると、戦禍にさらされることとなりました。
イギリスはウルグアイの地をブラジルとアルゼンチンの緩衝地帯にしようと考え、ブラジルとアルゼンチンの争いの仲裁に入ります。これによって1828年にウルグアイ共和国として独立を果たしました。

現在への歩み

20世紀に入り内政を安定化させたウルグアイは、スイスをモデルとした政策を行うようになります。その結果、「南米のスイス」と呼ばれるようになりました。
しかし、1955年以降急速に経済が低迷し、内戦が勃発すると軍事政権が誕生します。以来、軍事政治が1980年代まで続きました。1985年に民政移管すると、民主主義国家として歩み始め、現在では南米でも存在感を示す国家に成長しています。

日本とウルグアイの関係

ウルグアイと日本は1921年に国交を樹立しました。ウルグアイは第二次世界大戦中に日本に宣戦布告をしていますが、1952年に国交を回復し、以降友好的な関係を築いています。

政治関係

日本はウルグアイに経済援助を行っており、ドイツについで第2位の支援国となっています。
2013年には日本の資金援助を受けて、ウルグアイ初の太陽光発電施設ができました。今後はクリーンエネルギーの分野でも両国の結びつきが強くなると考えられています。

2015年にバスケス大統領が来日し、安倍晋三総理と首脳会談を行いました。

2017年には安倍総理が総理大臣として初めてウルグアイを公式訪問しました。

国交樹立100年を迎えた2021年には租税条約、税関相互支援協定が発効され、2022年にはラカジェ・ポウ大統領と岸田文雄総理との間で首脳会談が行われるなど、関係強化の動きが高まっています。

経済関係

ウルグアイは南米を中心とした貿易を行っています。アジアにおける主要な貿易相手国は中国であり、日本との貿易は小規模と言えるでしょう。
日本はウルグアイに自動車、印刷機器、合成ゴムなどを輸出しています。
ウルグアイは日本に牛肉・肉類、羊毛、ビーフジャーキーなどを輸出しています。
貿易収支は日本の黒字です。

1908年からウルグアイへ日系人が渡り、伝統的に花の栽培に従事してきました。こうしたつながりを受けて、2001年にモンテビデオに日本庭園が造られました。

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