2022 FIFAワールドカップ出場国について調べよう~フランス編~

こんにちは、家庭教師みつけ~るの服部(ふくべ)です。今年はワールドカップイヤーですね。SAMURAI BLUEの活躍が楽しみです!
ところでワールドカップには様々な国が出てきますね。良い機会なので、全部で32国の歴史などを学んでいきたいと思います。

今回は、グループDのフランスについて紹介していきたいと思います。

フランスの基本情報

公用語フランス語
首都パリ
面積54.4万km²
人口約6,790万人
通貨ユーロ
宗教キリスト教
政治体制共和制

フランス共和国はヨーロッパの西部に位置し、本土以外に13の海外領土を有しています。本土はドイツ、スイス、イタリア、ベルギー、ルクセンブルク、アンドラ、スペイン、モナコと国境を接し、北部は北海とイギリス海峡に、西部は大西洋に、南は地中海に面しています。気候は偏西風の影響により温暖で過ごしやすく、農業や酪農にも適しています。

首都のパリはフランス最大の都市で、政治、経済、文化、商業の中心地です。ロンドン、ニューヨークに次いで世界第三位の都市となっています。凱旋門、シャンゼリゼ通り、ルーヴル美術館など日本で人気の観光名所もあります。

フランスの政治体制は共和制で、国家元首である大統領は直接選挙によって選ばれます。首相は政府の首長であり、大統領の任命によって決まります。大統領と首相の両方に行政権があることから、フランスの政治体制は半大統領制と呼ばれることもあります。
議会は上院と下院の二院制で、下院に優先権があります。

主要な産業は自動車、化学、機械、食品、繊維、航空、原子力です。現在はIT産業や宇宙開発産業、原子力産業など最先端産業も盛んにおこなわれています。
フランスは欧州最大の農業国でもあり、小麦、大麦、とうもろこしなどが栽培されています。ぶどうの生産も盛んで、ワイン産業も発展しています。

フランスの歴史

紀元前から古代

紀元前2万年頃にクロマニョン人が住んでいたことがわかっています。ラスコーの洞窟は、クロマニョン人によって描かれました。
紀元前900年ごろにケルト人が流入し、フランスの地はガリアと呼ばれるようになります。
紀元前58年にローマ帝国のカエサルがガリア侵略を開始すると、ガリア戦争がはじまります。その結果ガリアはローマ帝国の属州となり、ローマの統治下におかれました。ガリアの人々はローマの文化を積極的に受け入れて経済的・文化的な発展を遂げていき、パクス・ロマーナ(ローマの平和)を謳歌しました。

フランスの勃興

5世紀にゲルマン人の大移動によって西ローマ帝国が滅びると、ゲルマン人の一部族であるフランク族がフランク王国を建国し、ローマに変わってガリアを支配します。フランク王国はカール大帝の時代に、イベリア半島北部からイタリア北部、ハンガリー周辺まで勢力を伸ばしました。
843年に締結されたヴェルダン条約によって、フランク王国は三つの国家(東フランク・西フランク・中部フランク)に分裂します。その中で西フランク王国が現在のフランスの地に王朝を構え、10世紀頃からフランスと名乗るようになりました。

王政の隆盛と衰退

中世期のフランスでは度々王朝が入れ替わりますが、どの王朝も王権強化に取り組んでいます。1589年に誕生したブルボン王朝は絶対王政を強化し、ルイ14世のときに栄華の極みを迎え、ヴェルサイユ宮殿など豪華絢爛な文化が発展しました。
ルイ15世の頃になると、ヨーロッパとの間でオーストリア継承戦争や七年戦争、また植民地をめぐってフレンチ=インディアン戦争など相次いで戦争が起こり、王政は次第に衰退していくことになります。

フランス革命とナポレオンの時代

フランスの人々は相次ぐ戦争や重い税負担、封建的な支配体制などに不満を持つようになります。1789年にフランス革命が起こると1792年に王政は廃止され、共和制体制が成立しました。
新政府が行った王族の処刑や急進的な政策の実施は、内政の混乱状態をひき起こします。すると1799年にナポレオン=ボナパルトがクーデターを起こして新政府を樹立し、実権を握ります。ナポレオンが1804年に皇帝に即位すると、フランスの政治体制は共和制から帝政へと変わりました。

近代

ナポレオンの即位以降フランスは帝政と共和制が何度も入れ替わるなど混乱を極めますが、1870年に第三共和制が成立すると安定の時代に入り、産業の振興、植民地の拡充などがはかられます。
第一次世界大戦がおこるとドイツと戦争状態になり、フランス東部は最大の激戦地となります。1939年に第二次世界大戦がはじまると1940年にドイツに敗北し、国土のすべてを占領されます。連合国の勝利によって主権を回復した後は1958年に第五共和制が成立し、現在のフランスの政体が確立されました。

日本とフランスの関係

フランスと日本が接触したのは17世紀頃であり、伊達政宗が派遣した慶長遣欧使節がフランスに上陸したことが最初だとされています。正式な国交は、1858年の修好通商条約締結によって始まりました。
フランスは日本の近代化に大きく貢献しています。第二次世界大戦時は日本軍によるフランス領インドシナへの侵攻などもあり関係が悪化しますが、1951年に平和条約を締結して以降、良好な関係に戻っています。

政治関係

日本とフランスは緊密な関係にあり、要人の往来がとても活発です。
2019年に安部晋三総理をはじめとした首脳級の要人が立て続けにフランスを訪れ、フランス側も2021年までにマクロン大統領をはじめとした政府要人が日本を訪れるなど、頻繁な交流が行われています。

経済関係

自動車産業、航空産業などを中心に、自動車、航空機、原子力、デジタル、鉄鋼、食品などの分野で深く結びついています。

貿易では日本はフランスに機械類、輸送用機器、化学製品などを輸出し、フランスは日本に化学製品、機械類、輸送用機器、医薬品、飲料などを輸出しています。
貿易収支は日本の赤字です。

日本企業の進出は670社以上にのぼり、10万人以上の雇用を創出しています。フランスにとって日本は、アジア最大の雇用を生み出す国となっています。

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