悲劇を繰り返さないように、原爆ドーム

こんにちは、家庭教師みつけ~るの荻原です。
今回は日本の世界遺産について詳しく見ていきたいと思います。みなさん、日本にはいくつ世界遺産があるか知っていますか??
なんと25個も認定されています!(2022年現在)

今回は原爆ドームについて学んでいきたいと思います。

世界遺産への登録の経緯

原爆ドームは広島県広島市中区にある、原子爆弾投下による悲惨さを伝える建物です。登録面積は構成資産が0.4ヘクタール、保護緩衝地帯が42.7ヘクタールです。

原爆ドームは1915年に建てられた建物です。元は広島県産業奨励館と呼ばれ、物産の展示・販売や博物館、美術館として利用されていました。戦争が激しくなると、1944年には行政機関や統制組合の事務所として利用されるようになります。
1945年8月6日に広島に原子爆弾が投下されると、奨励館の建物は中央のドーム部分のみを残して破壊されました。原子爆弾の威力はすさまじく、奨励館は爆心地付近で唯一残った建物となりました。
ドーム部分が残ったことから、1950年代初頭に「原爆ドーム」と呼ばれるようになります。1955年に広島平和記念公園が完成すると、原爆ドームは原子爆弾の悲惨さを伝えるとともに、恒久平和の実現を望むシンボルとなります。1960年代に入ると存続するかどうか議論が活発化するものの、1966年に永久保存が決定されます。
1992年に日本が世界遺産条約を締結すると、原爆ドームを世界遺産に推薦しようという動きが高まります。世界遺産に推薦されるためには文化財保護法などで保護されることが条件であったことから、1995年に国の史跡に指定されました。
アメリカ合衆国の反対や中華人民共和国の審議棄権などがあったものの、審議の結果1996年に世界遺産に登録されました。

世界遺産に登録された理由

世界遺産の登録基準は以下の10条があります。

  1. 人類の創造的才能を表現する傑作。
  2. ある期間を通じてまたはある文化圏において、建築、技術、記念碑的芸術、都市計画、景観デザインの発展に関し、人類の価値の重要な交流を示すもの。
  3. 現存するまたは消滅した文化的伝統または文明の、唯一のまたは少なくとも稀な証拠。
  4. 人類の歴史上重要な時代を例証する建築様式、建築物群、技術の集積または景観の優れた例。
  5. ある文化(または複数の文化)を代表する伝統的集落、あるいは陸上ないし海上利用の際立った例。もしくは特に不可逆的な変化の中で存続が危ぶまれている人と環境の関わりあいの際立った例。
  6. 顕著で普遍的な意義を有する出来事、現存する伝統、思想、信仰または芸術的、文学的作品と直接にまたは明白に関連するもの。
  7. ひときわすぐれた自然美及び美的な重要性をもつ最高の自然現象または地域を含むもの。
  8. 地球の歴史上の主要な段階を示す顕著な見本であるもの。これには生物の記録、地形の発達における重要な地学的進行過程、重要な地形的特性、自然地理的特性などが含まれる。
  9. 陸上、淡水、沿岸および海洋生態系と動植物群集の進化と発達において進行しつつある重要な生態学的、生物学的プロセスを示す顕著な見本であるもの。
  10. 生物多様性の本来的保全にとって、もっとも重要かつ意義深い自然生息地を含んでいるもの。これには科学上または保全上の観点から、すぐれて普遍的価値を持つ絶滅の恐れのある種の生息地などが含まれる。

原爆ドームは6の基準を満たしています。どのような点が評価されたのか、わかりやすく見てみましょう。

①人類史上初めて使われた核兵器の威力と恐怖を伝える

1945年8月6日午前8時15分に広島に落とされた原子爆弾は、人類史上初めて使われた核爆弾でした。
投下から43秒後に地上600メートルで炸裂、中心の温度は摂氏100万度に達し、爆心地付近の温度は3000度から4000度に達しました。爆風もすさまじく、秒速440メートルの風があたりを襲いました。
爆心地から半径2キロメートル以内の建物は全壊し、広島の町の約90%が消失します。
人的被害も甚だしく、当日に9万人の方が亡くなり、12月までに13万人から14万人の方が亡くなりました。
後遺症に苦しむ方も多く、現在までの間に30万人の方が亡くなっています。

原爆ドームはこうした核兵器の威力や残虐性を訴えるものとして受け止められています。

②原子爆弾による被害や惨状を伝える唯一の建築物

原子爆弾による熱や爆風により爆心地周辺の建物は一瞬にして破壊される中、広島県産業奨励館はドーム部分だけが奇跡的に残りました。
原爆ドームは原爆の被害の凄まじさを伝える唯一の建築物として評価されています。

③負の世界遺産―平和を願うシンボルとして―

原爆ドームは「負の世界遺産」と呼ばれています。負の世界遺産とは、人類が行った悲惨な行為を伝え、二度と同じ過ちを犯さないために記憶に留め戒める世界遺産を指します。

原子爆弾は、多くの人々を無差別に残虐な方法で死に至らしめ、一つの都市をことごとく破壊しました。また、放射線による後遺症で長期間にわたって苦しみ続ける人々を生み出しました。
広島の悲劇を二度と繰り返してはならないことを強く訴える原爆ドームは、核兵器のない世界の実現と平和を願うシンボルとしての価値が世界的に認められているのです。

唯一の被爆国が伝えられる思い、原爆ドーム

原爆ドームはチェコの建築家ヤン・レツルの設計によって建てられ、1915年に完成しました。レンガ造りの3階建ての建物です。中央部分は5階建てになっておりその上に円形のドームが乗せられています。当初は広島県物産陳列館と呼ばれ、その後は広島県立商品陳列所、広島県産業奨励館と名称を変えました。
建築当初から戦争末期までは広島県の物産品の販売や、商業・工業の相談場所として利用されました。また、博物館などの会場としても利用され、発展を遂げる広島の町のシンボルでもあったのです。

原爆ドームは爆心地から160メートルの距離にあります。原子爆弾が投下されると熱線と爆風により建物は破壊され、壁の一部と上部の円形ドーム部分の鉄骨がむき出しになる無残な姿となりました。
1960年代に入ると建物の劣化が進みます。また、原爆の被害を思い出させるとして取り壊しを望む声もあがりました。保存か解体かが議論される中、1歳の時に被爆し16歳で亡くなった楮山ヒロ子さんが書き残した日記に「無残な姿となった原爆ドームのみが後世に原爆の被害を訴え続けるだろう」という内容が書かれていたことをきっかけに保存運動が高まり、1966年に永久保存が決定しました。

当時の状況を損なわないように配慮しながら、現在までの間に4度の修理が行われています。原爆ドームには人々の平和を願う強い気持ちや努力が込められており、核兵器の悲惨さと世界平和を世界中に訴えるシンボルとして、今後も大きな役割を担っていくでしょう。

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