日本を支えた製糸業、富岡製糸場と絹産業遺産群

こんにちは、家庭教師みつけ~るの荻原です。
今回は日本の世界遺産について詳しく見ていきたいと思います。みなさん、日本にはいくつ世界遺産があるか知っていますか??
なんと25個も認定されています!(2022年現在)

今回は富岡製糸場と絹産業遺産群について学んでいきたいと思います。

世界遺産への登録の経緯

「富岡製糸場と絹産業遺産群」は群馬県富岡市にある「富岡製糸場」と、伊勢崎市にある「田島弥平旧宅」、藤岡市にある「高山社跡」、下仁田町にある「荒船風穴」の4つの資産で構成されています。登録面積は構成資産が7.20ヘクタール、保護緩衝地帯が415ヘクタールです。

富岡製糸場は1872年に開業した製糸工場です。当時最大規模の器械製糸により生糸の生産量が格段に増え、日本の近代化に大きく貢献しました。当初は官営で運営され、1893年に民間に払い下げられます。営業は1987年まで行われていました。建物が良好に保存されていたことから、2005年に国の史跡に指定されます。2006年には建物7棟、貯水槽1基、排水溝1か所が重要文化財に指定されます。2007年に「富岡製糸場と絹産業遺産群」が世界遺産リストに掲載されると、2009年に高山社跡が、2010年に荒船風穴が、2012年に田島弥平旧宅が国の史跡に指定され、2014年に世界文化遺産に登録されました。近代化遺産で世界遺産に登録されたのは、「富岡製糸場と絹産業遺産群」が日本で初めてです。

世界遺産に登録された理由

世界遺産の登録基準は以下の10条があります。

  1. 人類の創造的才能を表現する傑作。
  2. ある期間を通じてまたはある文化圏において、建築、技術、記念碑的芸術、都市計画、景観デザインの発展に関し、人類の価値の重要な交流を示すもの。
  3. 現存するまたは消滅した文化的伝統または文明の、唯一のまたは少なくとも稀な証拠。
  4. 人類の歴史上重要な時代を例証する建築様式、建築物群、技術の集積または景観の優れた例。
  5. ある文化(または複数の文化)を代表する伝統的集落、あるいは陸上ないし海上利用の際立った例。もしくは特に不可逆的な変化の中で存続が危ぶまれている人と環境の関わりあいの際立った例。
  6. 顕著で普遍的な意義を有する出来事、現存する伝統、思想、信仰または芸術的、文学的作品と直接にまたは明白に関連するもの。
  7. ひときわすぐれた自然美及び美的な重要性をもつ最高の自然現象または地域を含むもの。
  8. 地球の歴史上の主要な段階を示す顕著な見本であるもの。これには生物の記録、地形の発達における重要な地学的進行過程、重要な地形的特性、自然地理的特性などが含まれる。
  9. 陸上、淡水、沿岸および海洋生態系と動植物群集の進化と発達において進行しつつある重要な生態学的、生物学的プロセスを示す顕著な見本であるもの。
  10. 生物多様性の本来的保全にとって、もっとも重要かつ意義深い自然生息地を含んでいるもの。これには科学上または保全上の観点から、すぐれて普遍的価値を持つ絶滅の恐れのある種の生息地などが含まれる。

「富岡製糸場と絹産業遺産群」は2,4の基準を満たしています。どのような点が評価されたのか、わかりやすく見てみましょう。

①高い技術と世界への影響

日本の当時の主要な輸出物は生糸でした。しかしながら粗悪品が出回ることも多く、外国から批判されることもありました。そこで明治政府は、高品質の生糸を安定してつくることに乗り出します。富岡製糸場はフランス人のポール・ブリュナの指導のもと設立され、フランスから輸入した機械を使って良質な生糸を大量に生産することに成功しました。富岡製糸場で作られた生糸は海外に輸出され、それによって得た外貨によって日本の急速な近代化が行われました。

富岡製糸場の器械生産技術は海外にも大きな影響を与えています。富岡製糸場は高品質の生糸を安価かつ安定して供給することによって、絹製品の大衆化に貢献しました。
また、富岡製糸場の養蚕・製糸技術は日本国内だけでなく海外でも導入され、絹産業全体の発展に大きく貢献しました。

②明治初期の佇まいが残っている

富岡製糸場は、建物などが当時のまま良好な状態で保存されています。明治政府が作った官営の工場は他にもありますが、ほぼ完全な形で残っているのは富岡製糸場だけです。
世界に大きな影響を与えた製糸業の形態や官営工場の在り方を伝える資料的価値はもちろん、「機械化」「大量生産」といったワードに象徴される「近代」という時代を肌で感じさせてくれます。

③近代化と伝統の融合

生糸を作るためには、その材料である蚕の繭が必要になります。群馬県では江戸時代から養蚕や製糸業が盛んにおこなわれていました。大規模な官営製糸場が富岡に設立された背景には、群馬の地で育まれてきた伝統的な生糸産業があったのです。

構成する4つの資産

富岡製糸場

富岡製糸場は1872年に設立された官営の製糸工場です。敷地面積は東西に約200メートル、南北に約300メートルで、当時最大級の大きさを誇っていました。第二次世界大戦の戦禍を免れたため、開業当時の姿が現在まで伝わっています。
メインの建物である繰糸所は木骨レンガ造りで建てられ、フランス式の繰糸器を300釜設置しています。労働者は主に女性で、先進的な労働環境であったことも評価されています。
2014年に繰糸所、東置眉所、西置眉所が国宝に指定されました。

田島弥平旧宅

田島弥平旧宅は伊勢崎市で養蚕業を営んでいた田島弥平の住宅です。彼が発明した蚕の飼育方法である「清涼育」は明治初期の養蚕業に大きな影響を与えました。
田島弥平旧宅の2階や納屋は養蚕の実践所となっていました。また、田島弥平は『養蚕新論』『続養蚕新論』を執筆し、養蚕技術の普及に尽力しました。養蚕家の施設を現在に伝えている点や近代養蚕業への貢献が評価され、世界遺産に登録されています。

高山社跡

高山社は養蚕業の研究や教育のための施設で、1884年に設立されました。設立者である高山長五郎は「清温育」という養蚕法を確立し、その普及に努めます。一時は養蚕教育の聖地となり、生徒には日本国内のみならず東アジアの人も含まれていました。高山社は優良な繭の生産向上に貢献したほか、教育機関として養蚕業の普及に尽力した点が評価されています。

荒船風穴

荒船風穴は1905年から1913年にかけてつくられた3つの風穴です。風穴は夏でも涼しいことから、蚕の卵を保存するために使用されました。卵の保存に風穴を利用することは全国で行われましたが、荒船風穴は最大規模のものです。風穴を利用して増産された繭は、製糸業の発展や生糸の安定供給に大きく貢献しました。
荒船風穴は20世紀初頭にかけて全国の養蚕農家から卵の保管を承ったり、付近に高山社の分校が建てられたりするなどして栄えました。しかし、蚕の人工ふ化技術などが向上すると次第に利用されなくなり、現在は風穴のみが残っています。

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