【日本】六月の和名とイベントについて

こんにちは。家庭教師みつけ~るの荻原です。
前回に引き続き、みなさんに馴染みのある日本の月の和名について、各月の代表イベントと一緒に解説していくシリーズ第6弾!


本記事は六月特集です。
内容を読んで知っていた人、もっと知りたい人はこのシリーズの他の記事もぜひ見てみてくださいね。
それでは解説して行きましょう!

【夏】日本の六月:水無月(みなづき)

現在のグレゴレオ暦ではなく、旧暦の太陰太陽暦では、日本の六月は「水無月(みなづき)」と呼ばれていました。

現在でも和名として親しまれている水無月ですが、その名前に疑問を抱く人は多いのではないでしょうか。

日本の6月は、梅雨シーズンと呼ばれるほどに雨が多い月です。それなのに何故「水」が「無い」月と書くのか、と…。

その由来にはいくつか説があります。今回は代表的な2つを挙げてみましょう。

「水が干からびて無くなってしまう月」という説

これまでのシリーズでも旧暦と現暦の月の間隔はズレていることは、お話ししましたが、この説もそれが関係しています。

現在とは1か月ほど違う旧暦の6月は、今でいう7月の環境下にありました。

そのため、梅雨が明けて日差しが強くなってきた旧暦の6月では、田んぼや畑の水が放っておくとどんどん干からびていき、無くなってしまう…そんな厳しい月だったのです。

そこから「水が無くなってしまう月」から「水の無い月」になり「水無月」となっていったと言われています。

「田んぼや畑に水を張る月」という説

先の説と同じように、旧暦の6月は7月と同じような気候。

そして、田植えが終わる時期でもあるため、次は田んぼに水を張る必要があります。

日本では古くから「な」は「の」と同じような意味として使われていましたが、そこから「水を張る月=水な月(水の月)」となり、「な」という部分に「無」という当て字がされたことで、「水無月」となったと言われています。

どちらも田んぼに関する説ということから、日本では耕作が非常に身近な存在だったことが分かりましたね。

【六月のイベント】梅雨

今日の6月は、雨が多く降る梅雨入りのシーズンです。

そのため、6月になると全国各地で梅雨にちなんだグッズや話題が生まれ、ショッピングモールやコンビニエンスストアなどの販売店では梅雨らしい装飾や広告が見られるようになります。

平年より、気象庁は、関東甲信では6月7日頃、近畿では6月6日頃を梅雨入りと発表していますが、近年の様子だと近畿は梅雨入りが遅れているようです。

その理由としては、日本南部の上空で風が西に強く流れており、梅雨となる水蒸気量の高い雲がそこに停滞しないためなんだとか。

ありがたい話ではありますが、雨が降らないことで他に被害を受けることもあるため、平年並みの天候で過ごせると良いですよね。

とはいえ、梅雨入りといっても、雨が続いて空が曇ってしまうと気分がどんよりしてしまう人もいます。

そんなときは、皆さん一度は聴いたことのあるあの歌を歌ってみたら、気分がまぎれるかもしれません。

知らない方はこれからご紹介する歌詞の意味などを踏まえて、歌の内容を想像して歌ってみてください♪

梅雨にちなんだ童謡「あめふり」

皆さんがよく聴いたことのある「あめふり」は1925年に童謡として誕生しました。

当時の児童用雑誌「コドモノクニ」の11月号に記載されており、2007年の日本歌百選にも選ばれるほど、国民から親しまれてきました。

とてもポップな曲調のこの曲は内容も優しいため、保育園や幼稚園などでも歌われているようですね。

それでは歌詞を見ていきましょう。

「あめふり」

作詞:北原白秋 作曲:中山晋作

(1番)あめあめ ふれふれ 母さんが
じゃのめでお迎え 嬉しいな
ピッチピッチ チャップチャップ
ラン ラン ラン
(2番)かけましょ カバンを 母さんの
後から ゆこゆこ 鐘が鳴る
ピッチピッチ チャップチャップ
ラン ラン ラン
(3番)あらあら あの子は ずぶ濡れだ
柳の根方(ねかた)で 泣いている
ピッチピッチ チャップチャップ
ラン ラン ラン
(4番)母さん 僕のを かしましょか
きみきみ この傘 さしたまえ
ピッチピッチ チャップチャップ
ラン ラン ラン
(5番)僕なら 良いんだ 母さんの
大きな じゃのめに 入ってく
ピッチピッチ チャップチャップ
ラン ラン ラン

傘をさして母親と一緒に帰っていた途中、別の子に自分の傘を譲る話。

この歌は、幼稚園か小学生低学年の小さな男の子が主人公です。

帰る時に雨が降っていましたが、傘を忘れた男の子のためにじゃのめをさした母親が傘を持って迎えに来てくれました。

じゃのめとは、現代では高級な和傘の一種です。

傘に円が描かれたデザインが蛇の目(へびのめ)、つまり蛇の目(じゃのめ)に似ていることからそう呼ばれていたのだとか。

当時は大正時代でしたから、そのような和傘は珍しくなかったのでしょう。

そんなじゃのめをさした母親が迎えに来てくれたので、男の子はカバンを自分の肩にかけ、帰る支度を完了させて、母親と一緒に帰ります。

母親と帰っていると、母親の背からお寺の鐘の音が聞こえてきました。帰る方角にはお寺もあったのでしょう。

すると、柳の根元にずぶ濡れで泣いている女の子の姿が。

男の子は母親に承諾を得て自身の持っていたこうもり傘を「君はこの傘をさしなさい」と、女の子に差し出します。

そして、自分は母親の大きな傘に入るから大丈夫だ、と諭して帰っていく。

そんな優しさ溢れる温かいストーリーは、全国中に広がっていき親しまれるようになっていきました。

小さなこどもにはぴったりの童謡だったのですね。

いかがでしたでしょうか。
月の和名や各月のイベントは、これからの国際化で話題に出せるような題材です。
もし、みなさんが海外の方と親しくする機会があったら、是非教えてあげてくださいね。

それでは、次回の「【日本】七月の和名とイベントについて」でお会いしましょう!