2022 FIFAワールドカップ出場国について調べよう~セルビア編~
こんにちは、家庭教師みつけ~るの服部(ふくべ)です。今年はワールドカップイヤーですね。SAMURAI BLUEの活躍が楽しみです!
ところでワールドカップには様々な国が出てきますね。良い機会なので、全部で32国の歴史などを学んでいきたいと思います。
今回は、グループGのセルビアについて紹介していきたいと思います。
セルビアの基本情報
公用語 | セルビア語、ハンガリー語 |
首都 | ベオグラード |
面積 | 7.74万km² |
人口 | 約693万人 |
通貨 | セルビア・ディナール |
宗教 | セルビア正教(セルビア人)、カトリック(ハンガリー人) |
政治体制 | 共和制 |
セルビアはバルカン半島の内陸部に位置する国で、ルーマニア、ハンガリー、ブルガリア、ボスニア・ヘルツェゴビナ、モンテネグロ、コソボと国境を接しています。北部にあるヴォイヴォディナ自治州は、クロアチアと接しています。
気候は大陸性気候に属し、朝晩の気温差が大きく、また冬場は厳しい寒さになります。
首都・ベオグラードはセルビア最大の都市です。ヨーロッパ最古の都市とされ、文明発祥の地とも言われます。セルビアの政治・文化の中心地でもあり、ノーベル文学賞を受賞したイヴォ・アンドリッチの『ドリナの橋』はベオグラードの地で書かれ出版されました。
セルビアの政治体制は共和制で、国家元首である大統領は直接投票によって選ばれます。軍の最高司令官を務め、議会の解散や非常事態を発令する権利を持ちますが、実際の政治は内閣によって行われます。
議会は一院制で、比例代表制で選ばれます。
主な産業は製造業、卸売・小売業、不動産業、農業などです。
近年はICT産業(情報通信技術)が伸びてきています。
セルビアの歴史
古代
セルビアの地では古代から文明が発達しており、ドナウ川沿いで発見されたスタルチェボ遺跡やレペンスキ・ヴィル遺跡では、紀元前7000年頃から紀元前6000年頃の狩猟文化・農耕文化の痕跡を見ることができます。
5世紀頃にはビザンツ帝国の支配下に入り、6~7世紀頃にスラブ人が流入してきました。9世紀ごろにはキリスト教を受容します。
セルビアの成立
1171年にセルビア王国が成立すると、ネマニッチ朝を創始したステファン・ネマニャの時代にビザンツ帝国から独立をします。ネマニッチ朝は修道院の建設に力を入れています。1219年にセルビア正教会が作られると、1260年には世界遺産に登録されているソポチャニ修道院が建設されました。ネマニッチ朝は14世紀のドゥシャン王の時代に最も栄え、領土も拡大しました。
オスマン・トルコによる支配と独立
14世紀にオスマン・トルコ帝国が力を持ち始めると、1389年にコソボ平原の戦いで負けたセルビアは、以降400年にわたってオスマン・トルコの支配下に置かれるようになります。
19世紀に入ると、独立を目指すセルビア人たちが蜂起してオスマン・トルコと戦い、セルビア公国を作ります。セルビア公国は、1878年のベルリン条約により国際社会から独立の承認を得ました。
第一次世界大戦の後に、セルビア人・クロアチア人・スロベニア人とともに「セルブ・クロアート・スロヴェーン王国」を結成します。この王国は後にユーゴスラビア王国と名前を変えました。しかしながら多民族国家であることから民族間の対立が起こり、内政は不安定なものでした。
第二次世界大戦ではナチス・ドイツに侵略され占領されます。
現在への歩み
戦後は社会主義指導者のチトーの指導のもと、ユーゴスラビア社会主義共和国、ユーゴスラビア社会主義連邦共和国が建国されます。チトーの死後、国内では民族対立や経済格差による対立が深まり、1990年代にクロアチア、スロベニア、マケドニア共和国、ボスニア・ヘルツェゴビナが独立をします。残ったセルビアはモンテネグロとともにユーゴスラビア連邦共和国を建国しました。1998年にコソボ地域の独立をめぐってコソボ紛争が起こると、1999年にNATOの攻撃を受け、セルビアの現在の首都であるベオグラードの街は大きなダメージを負いました。
モンテネグロでも独立の機運が高まると、2003年には緩やかな集合体であるセルビア・モンテネグロを建国します。2006年の住民投票によってモンテネグロが独立を果たすと、セルビアは旧ユーゴスラビアの継承国としてセルビア共和国となりました。
日本とセルビアの関係
セルビアと日本の関係は、1882年にセルビア王ミラン一世が明治天皇に書簡を出し、それに対して明治天皇が返信されたことによって始まりました。
第二次世界大戦中に断絶するものの、1952年に国交を回復します。
旧ユーゴスラビア国の内紛を受けて1991年から2000年まで経済協力が停止するものの、それ以降は友好な関係を保っています。
政治関係
第二次世界大戦後、東欧諸国の中で最初に外交関係を回復しました。
2000年代には旧ユーゴスラビア復興のために、日本は経済援助・技術援助を行います。
2004年に在大阪セルビア名誉総領事館が再開します。
東日本大震災のときには、セルビア人からヨーロッパ第1位の義援金が送られました。
両国の間では、通商航海条約、文化協力協定、科学技術協定(旧ユーゴより承継)、技術協力協定、租税協定が締結されています。
経済関係
セルビアにとって日本は、アジア最大の貿易相手国です。
日本はセルビアに自動車、半導体電子部品、合成ゴム、ゴムタイヤ・チューブなどを輸出しています。
セルビアは日本に、たばこ、化学製品、果実・野菜、電気機器、飼料などを輸出しています。
貿易収支は日本の赤字です。
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