2022 FIFAワールドカップ出場国について調べよう~スペイン編~

こんにちは、家庭教師みつけ~るの服部(ふくべ)です。今年はワールドカップイヤーですね。SAMURAI BLUEの活躍が楽しみです!
ところでワールドカップには様々な国が出てきますね。良い機会なので、全部で32国の歴史などを学んでいきたいと思います。

今回は、グループEのスペインについて紹介していきたいと思います。

スペインの基本情報

公用語スペイン語
首都マドリード
面積50.6万km²
人口約4,708万人
通貨ユーロ
宗教キリスト教(カトリック)
政治体制議会君主制

スペイン王国はイベリア半島の大半を国土とする国です。本土以外にも、アルボラン島、カナリヤ諸島、バレアレス諸島、北アフリカに位置するセウタやメリリャなどの海外領土を持っています。
本土はフランス、アンドラ、ポルトガル、英領ジブラルタルと国境を接し、北部はビスケー湾、東部はバレアス海、南部はアルボラン海に面しています。気候は、北部は温暖な海洋性気候、中部は大陸性気候、南部は地中海気候にわかれています。

首都・マドリードは世界第15位の大都市です。都市GDPも高く、ヨーロッパ圏では第4位にのぼります。
マドリードに次いで栄えているのはバルセロナで、世界遺産に認定されているサクラダ・ファミリアなど歴史的な建造物も多く立ち並びます。

スペインの政治体制は議会君主制と呼ばれるものです。国家元首は国王であるものの象徴であり、主権は国民にあります。

主要な産業は自動車、食料品、化学品、観光業です。観光業のGDPに対する割合が10%を
超えているのが特徴的です。
農業も盛んにおこなわれており、欧州第4位の農業大国です。小麦、大麦、オレンジ、豚肉などを主に栽培しおてり、日本ではバレンシア産のオレンジやイベリコ豚が著名です。

最も盛んなスポーツはサッカーで、国民的人気を集めています。スペインサッカープロリーグのラ・リーガにはレアル・マドリードやFCバルセロナなど有名なクラブが所属し、世界屈指のプレーヤーがプレーしています。

スペインの歴史

紀元前から古代

イベリア半島には古くから人類がおり、クロマニョン人がアルタミラ洞窟の壁画を残しています。
紀元前300年頃にフェニキア人と古代ギリシャ人が流入し、沿岸部に植民土地を作って住み着きました。これらの土地はポエニ戦争によってカルタゴの支配下に置かれますが、カルタゴがローマ帝国によって滅ぼされると、ローマ帝国による統治が行われるようになります。キリスト教など新しい文化が流入するとともに、ローマと文化の統合がはかられました。

イスラムの支配とレコンキスタ

711年にイスラム勢力であるウマイヤ朝に侵略されると、イベリア半島の大部分はイスラム勢力の土地になります。この間にイスラム教圏の文化や知識が流れ込みました。
キリスト教の勢力はイスラムによる影響を排除しようと反撃を開始し、722年頃からレコンキスタ(熱狂的再征服)と呼ばれる戦いが起こります。1492年に地中海に面するグラナダが陥落すると、イスラムによる支配は終わりました。

黄金と斜陽の時代

1516年、ハプスブルク家のカール大帝がスペイン王として即位すると、スペイン帝国の時代がはじまります。スペインは優れた公開技術を用いて、中南米やアフリカに進出、先住民を追い出しながら世界中に植民地を築き、大帝国を作り上げます。カール大帝とそれに続くフェリペ2世の治世では、スペイン領の何処かは昼間であるという「太陽の没することなき帝国」を実現しました。
一方で拡大は対立を生み出し、戦乱の時代を呼び起こします。1588年にイギリスと戦ったアルマダの海戦、1618年に始まった三十年戦争に敗れると、斜陽の帝国と呼ばれる没落期に入ります。1789年のフランス革命後は一時フランスと手を組みイギリスと戦いますが、トラファルガーの海戦で惨敗し海軍兵力を失います。
弱体化したスペインは1808年に国王が退位させられ、ナポレオンによる傀儡政権が置かれます。これに対してスペインの人々が反乱を起こし、スペイン独立戦争が勃発しました。その後は内政の混乱も続き、植民地の喪失や産業革命の遅延などによって、次第に国力が衰えていきました。

現代への歩み

第一次世界大戦がおこると、スペインは中立の立場を保ち、大きな混乱を回避します。しかし、1920年に植民地モロッコで起こった第三次リーフ戦争などを経て、国力はますます疲弊します。1931年には国王が国外へ逃亡し、共和制の政権が成立しました。この政権下では女性に参政権が与えられるなどの進展があったものの、内政の混乱はおさまらず、1936年にスペイン内戦が起こります。内戦は1939年フランシスコ・フランコ将軍が率いる反乱軍の勝利によって終結するものの、その後フランコ将軍による独裁政権が続きました。
フランコ将軍の死の後、1978年にスペイン1978年憲法が制定され、国王の権利を制限し民主化が果たされました。

日本とスペインの関係

スペインと日本の歴史は古く、1549年にフランシスコ・ザビエルが到来したのが始まりと言われています。戦国時代は南蛮貿易によって交流を行いました。1584年には天正遣欧少年団がフェリペ2世に謁見しています。鎖国によって一時関係が途絶えるものの、1868年に修好通商航海条約を結び、正式な国交が開かれました。

政治関係

日本とスペインの関係は良好な関係にあります。また、王室と皇室の交流も盛んで、2013年には交流400周年記念で皇太子殿下がスペインを訪問されました。
2019年の天皇陛下の即位の礼の際には、フェリペ6世国王同妃両陛下が出席されました。

2017年4月ダスティス外務・協力相と岸田文雄外務大臣の間で「ワーキング・ホリデー制度に関する日本国政府とスペイン王国政府との間の協定」の署名が行われました。

2018年10月に安倍晋三総理がスペインを訪問、サンチェス首相と首脳会談を行い「戦略的パートナーシップ」の共同声明を発表しました。

経済関係

スペインの主な貿易相手国は欧州国家であり、日本からスペインへの輸出量はここ20年の間に半減しています。
日本はスペインに輸送用機器、一般機械、電気機器などを輸出しています。
スペインは日本に食料品、化学製品、輸送用機器などを輸出しています。
貿易収支は日本の赤字です。

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