2022 FIFAワールドカップ出場国について調べよう~イラン編~
こんにちは、家庭教師みつけ~るの服部(ふくべ)です。今年はワールドカップイヤーですね。SAMURAI BLUEの活躍が楽しみです!
ところでワールドカップには様々な国が出てきますね。良い機会なので、全部で32国の歴史などを学んでいきたいと思います。
今回は、グループBのイランについて紹介していきたいと思います。
イランの基本情報
公用語 | ペルシア語 |
首都 | テヘラン |
面積 | 1,648,195km2 |
人口 | 86,758,304人 |
通貨 | イラン・リヤル |
宗教 | イスラム教(主にシーア派)、キリスト教、ユダヤ教、ゾロアスター教 |
政治体制 | イスラム共和制 |
イランは「イラン・イスラム共和国」と言い、アジアから中東にかけての場所に位置しています。アルメニア、アゼルバイジャン、トルクメニスタン、アフガニスタン、パキスタン、トルコ、イラクと国境を接し、北部はカスピ海、南部はペルシャ湾とオマーン湾に面しています。
中東第2位の国土面積を有しており、気候は地域によって大きく差があります。大部分が乾燥地帯ですが、北部は雪が降り、南部は亜熱帯に近く気温が40度近くまで上がることもあります。
首都・テヘランはイラン最大の都市であり、人口の1割強、大企業の約半数が集中しています。また、中東10ヵ国と中央アジアの非アラブ・イスラム諸国によって構成される経済協力機構の本部が置かれており、中東地域全体の中でも重要な都市の一つとなっています。
イランはイスラム共和制と呼ばれる政治体制を採用しています。イスラム共和制では選挙によって選ばれた代表者によって政治が行われますが、コーランの教えに基づいた政治が行われたり、国の法律にイスラーム法が用いられるなど、政治とイスラム教が深く結びついています。
国家元首は最高指導者と呼ばれ、行政、司法、立法、軍事など国政に関する事柄の全てにおいて最終決定権を持っています。最高指導者は国民の選挙によって選ばれたイスラム法学者によって構成される専門家会議によって選出されます。一方で、行政府の長である大統領は、国民の直接選挙によって選ばれます。
イランの主要な産業は石油関連産業です。
また、26個の世界遺産を有していることから、近年は観光資源も注目を集めつつあります。
イランの歴史
古代
イランは紀元前10万年頃から人々の痕跡が確認されており、かなりはやい段階から高度な文明が形成されていたことがわかっています。
紀元前550年にアケメネス朝ペルシアが建国されました。アケメネス朝が滅びた後、226年にササン朝ペルシアが成立し、オリエント大国として独自の文明の形成が行われました。
イスラム教の流入
戦争や自然災害によってササン朝が衰退すると、イランの地はイスラムが支配するようになります。932年に成立したブワイフ朝は、国教にシーア派イスラームの十二イマーム派を制定しました。
ブワイフ朝の衰退後は一時期モンゴル王朝の征服を受けますが、1501年にサファヴィー朝が成立すると再びイスラームの影響が強くなり、十二イマーム派への改宗もこの頃に進みます。
混乱とイラン立憲革命
1736年にサファヴィー朝が滅亡し続いてガージャール朝が成立すると、イランの地にイギリス、ロシアなどが進出を開始します。両国のせめぎ合いにより領土や関税自主権など多くの権利を失い、半ば植民地のように扱われるようになりました。
列強の支配を許すガージャール朝の政治に不満を持った勢力は、1891年に「タバコ・ボイコット運動」を起こします。これはイランで初めて起こった政治運動でした。
1905年には議会の開設と憲法の制定を求めるイラン立憲革命が起こり、1906年に議会と憲法が制定されました。イギリスとロシアはこの動きに反発し、1911年に議会は解散し憲法は停止されました。
イラン・イスラーム革命
ロシア革命によってロシアの影響力が弱まるとイギリスは自国による支配を強めようとし、1919年8月に「英国・イラン協定」を締結し、イランを保護国化しようとします。この動きに反発した国民はガージャール朝を倒そうと立ち上がり、以降革命運動が激化していきます。
1926年にパフラヴィー朝が成立すると、不平等条約の改正や財政再建などイランの近代化が進められていきます。パフラヴィー朝は当初国民の支持を取り付けていましたが、1970年代に入ると次第に特栽色が強くなり、反発を招くことになります。
1979年にイラン・イスラーム革命が起こるとパフラヴィー朝は退陣に追い込まれ、イスラム共和制のイラン・イスラーム共和国が成立しました。
日本とイランの関係
イランと日本の外交関係は1929年に開始されました。1942年に第二次世界大戦の影響で断絶するものの、1953年に再開します。1955年には駐イラン日本公使館が大使館へと昇格しました。
政治関係
安倍晋三総理の時代に関係の強化がはかられ、2019年には総理大臣としては41年ぶりにイラン訪問が実現しました。
2022年には岸田文雄総理とライースィー大統領との首脳会談がニューヨークで実現しています。
文化交流事業も盛んで、イラン国立博物館の協力のもと、2006年に「ペルシャ文明展 煌く7000年の至宝」が開催されました。
2019年に在イラン日本大使館内に日本文化を紹介する「ジャパン・ルーム」が設立され、日本文化の発信が積極的に行われています。
経済関係
日本とイランの貿易は、アメリカによる経済制裁の影響によって左右されることがあり、2021年は輸出・輸入とも品目が限られました。
日本からイランへは電気機器、一般機械、写真用・映画用材料などが輸出され、イランから日本へは織物用糸、繊維製品、食料品などが輸出されています。
収支は日本の貿易赤字となっています。
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