2022 FIFAワールドカップ出場国について調べよう~ポルトガル編~
こんにちは、家庭教師みつけ~るの服部(ふくべ)です。今年はワールドカップイヤーですね。SAMURAI BLUEの活躍が楽しみです!
ところでワールドカップには様々な国が出てきますね。良い機会なので、全部で32国の歴史などを学んでいきたいと思います。
今回は、グループHのポルトガルについて紹介していきたいと思います。
ポルトガルの基本情報
公用語 | ポルトガル語 |
首都 | リスボン市 |
面積 | 9.22万km² |
人口 | 約1,029万人 |
通貨 | ユーロ |
宗教 | カトリック教徒が圧倒的多数 |
政治体制 | 共和制 |
ポルトガル共和国はイベリア半島に位置し、ヨーロッパの最西端にある国です。スペインと国境を接し、西側と南側には大西洋が広がります。
気候は地中海性気候に属していて、オリーブなどの栽培に適しています。
首都・リスボンはポルトガル最大の都市で、リスボンを含む首都圏に人口の約25パーセントが集中しています。商業、金融、文化の要所であり、世界遺産に登録されているジェロニモス修道院やベレンの塔などを有していることから、観光客からも人気です
ポルトガルの政治体制は共和制で、国家元首は大統領です。大統領は国民の直接選挙で選ばれます。大統領は軍の最高司令官であり首相の任命権や非常事態宣言の発令などの権限がありますが、行政権の一部は首相が有しています。
議会は一院制です。
主要産業は製造業(機械類、衣類、履き物、コルク製造)及び観光業などです。
地中海性気候を生かしたオリーブ栽培が盛んで、生産量は世界第7位です。ブドウの栽培も盛んに行われており、ワインの生産量は世界第10位です。
ポルトガルの歴史
古代
紀元前35000万年ごろにクロマニョン人が住み始めました。この頃に書かれた洞窟壁画はコア渓谷とシエガ・ベルデの先史時代の岩絵遺跡群として世界遺産に登録されています。
紀元前200年頃にローマが進出し支配を始めると、キリスト教などのローマ文化が流入しました。
ポルトガル王国の成立
ローマ帝国が衰退すると様々な王朝が相次いで成立します。8世紀にイスラム勢力がイベリア半島に侵略を始めると、スペインの地も支配下に入りイスラム文化が栄えます。一方で、キリスト教の勢力はイスラム勢力を排除しようと、レコンキスタという戦いを始めます。その過程でキリスト教のカスティリャ王国が成立します。イスラムとの戦いで戦果をあげた貴族アフォンソはカスティリヤ国王に対し、王位を授けるように要求します。両者の間で争いがあるもののローマ教皇の調停によってアフォンソに王位が授けられ、ポルトガル王国ができました。
海外進出の時代
1249年にポルトガル内のレコンキスタが完了します。1254年にはそれまで貴族と聖職者だけが参加していた議会に平民の代表の参加が認められました。この頃からポルトガルは貿易活動に力を入れ始めます。1415年にモロッコのセウタを占領し、海外進出が始まりました。1498年にはヴァスコ=ダ=ガマがインド航路を開拓し、ゴアを植民地にします。16世紀前半にブラジルを植民地にすると、労働力確保のためにアフリカの植民地からブラジルへ奴隷を連れていきました。
王政から共和制へ
16世紀後半にはスペインと王位継承争いが勃発します。その結果、スペイン王のフェリペ2世がポルトガルの王も兼ねることになり、スペイン・ポルトガル連合王国ができました。
これに対しポルトガル人は反感を募らせ、ポルトガル王政復古戦争に発展しました。この結果1640年にスペインから独立し、ブラガンサ朝が成立します。
ナポレオン戦争に伴って内戦が起こると、ポルトガル王は植民地のブラジルに逃げてその地で王国を築きます。ポルトガル国内では1820年に自由主義革命が起こり、ブラジルにいた王が戻り立憲君主の国となります。1910年に共和主義者が反乱を起こすと民衆もその味方になり、ポルトガルは共和制の国になりました。
第一次世界大戦ではドイツと戦うものの金銭問題から内政が崩壊し、1925年にはクーデターにより軍事政権が誕生します。世界恐慌による不況の中、経済学者のサラザールが財政を改革し、経済は回復傾向に向かいます。第二次世界大戦では中立を保ち、大きな被害はありませんでした。
戦後は植民地との争い、サラザールの独裁を排除する動きが起こります。1974年にサラザール派が倒されると、植民地の解放や民主化の動きが加速しました。
日本とポルトガルの関係
ポルトガルと日本の関係は、1543年にポルトガルの商人が種子島に来航し、鉄砲を伝えたことが始まりとされています。1549年にフランシスコ・ザビエルが来航し、キリスト教が伝わりました。織田信長の時代には南蛮貿易が行われました。鎖国政策により関係は途絶えるものの、1860年に日葡和親条約・日葡修好通商条約が調印され、正式な国交が結ばれます。第二次世界大戦中に再び関係が途絶えるも、1953年に国交を再開しました。以来、友好な関係を保っています。
政治関係
1993年に鉄砲伝来450年を記念し、マリオ・ソアレス大統領が来日しました。
1998年5月に天皇皇后両陛下がポルトガルを訪問され、リスボン万博をご覧になりました。
2002年1月に田中眞紀子外務大臣が、日本の外務大臣初のポルトガル訪問を行いました。
国会議員同士の交流も活発で、2020年に日本・ポルトガル友好議員連盟がポルトガルを訪問しました。
経済関係
ポルトガルは欧州諸国との経済的結びつきが強く、日本はポルトガルの主要な貿易相手国ではありません。
日本はポルトガルに鉄鋼、輸送用機器(船舶・自動車など)、一般機械、電気機器、ゴム製品などを輸出しています。
ポルトガルは日本に輸送用機器(自動車等)、衣類及び同附属品、果実及び野菜、電気機器、一般機械などを輸出しています。
貿易収支は日本の黒字です。
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