2022 FIFAワールドカップ出場国について調べよう~カメルーン編~

こんにちは、家庭教師みつけ~るの服部(ふくべ)です。今年はワールドカップイヤーですね。SAMURAI BLUEの活躍が楽しみです!
ところでワールドカップには様々な国が出てきますね。良い機会なので、全部で32国の歴史などを学んでいきたいと思います。

今回は、グループGのカメルーンについて紹介していきたいと思います。

カメルーンの基本情報

公用語フランス語、英語、その他各部族語
首都ヤウンデ
面積47.5万km²
人口約2,654万人
通貨CFAフラン
宗教カトリック、プロテスタント、イスラム教、自然崇拝
政治体制共和制

カメルーン共和国はアフリカ大陸の西南部にあり、チャド、中央アフリカ共和国、コンゴ共和国、ナイジェリア、ガボン、赤道ギニアと国境を接しています。南西部はギニア湾に面しています。
国土の大半が熱帯性気候で、最高気温が30度を超える日も多いです。

首都・ヤウンデはカメルーン第2位の都市で、植民地支配を受けていたときに象牙貿易の拠点として作られました。現在は政治の中心として栄えています。
最大の都市はドゥアラです。ギニア湾に面しており、商業や貿易の拠点として栄えています。植民地時代につくられた建造物が多く残っていて、聖ペテロ・聖パウル大聖堂が観光客に人気です。

カメルーンは豊かな自然が多くあり、ジャー動物保護区やサンガ川流域の3か国保護地域はともに世界遺産に認定されています。

カメルーンの政治体制は共和制で、国家元首は大統領です。大統領は行政執行権を持っています。議会は二院制です。

主要産業は農業(カカオ、綿花)、鉱工業(石油、アルミニウム)です。カカオ、綿花は総輸出の23パーセントを占めています。原油の輸出量も増えており、2015年には総輸出の40%を占めるようになりました。

カメルーンの歴史

古代

アウストラロピテクスなど過去の人類の化石が発見されており、350万年前ぐらいから人類の祖先がこの地に生息していたことがわかっています。
シュム=ラカ遺跡から紀元前5000年頃の石器や土器が発見されており、この頃には農耕文化を持つ人々が住んでいたとされています。
紀元前1000年紀頃から村を形成し集団で生活していたと考えられ、オボボゴ遺跡からは大規模な村落の痕跡が発見されています。
5世紀頃から文明が発達し、7世紀にはアラブ人との交易を始めイスラーム文化が流入します。カメルーンには現在もイスラム教を信仰している人がいますが、その起源をここに見出すことができます。

植民地支配の歴史

大航海時代が始まると、1470年にポルトガル人がカメルーンの地を発見します。しかし貿易拠点を作ることはありませんでした。
1500年代に奴隷貿易が活発化すると、カメルーンからも奴隷として人々が輸送されました。
1870年代に入るとドイツ帝国がアフリカでの植民地経営に乗り出し、ドゥアラに入植を開始します。カメルーンは1884年にドイツ保護領カメルーンとなりました。ドイツはカカオやバナナのプランテーションを経営します。また、作物などを効率よく運搬するために、ドゥアラ、ウゴングサンバ、ヤウンデを結ぶ鉄道を敷きます。この路線は現在でも主要な鉄道として使われています。
第一次世界大戦でドイツが負けると、1918年にヴェルサイユ条約が締結されます。その時の取り決めにより、1922年に北西部がイギリスの「イギリス領カメルーン」、東南部がフランスの「フランス領カメルーン」となりました。
イギリス領カメルーンは主に貿易の中継地として利用され、フランス領カメルーンではプランテーションが拡大していきます。1930年代に入ると、フランス領カメルーンでは自治を求める動きが進みました。

独立へ

第二次世界大戦後に脱植民地の動きが高まると、1960年にフランス領カメルーンが独立します。イギリス領カメルーンは住民投票の結果、1961年に北部はナイジェリアと合併し、南部は西カメルーンとして独立し、先に独立していたカメルーンとともに連邦国を結成しました。
1972年に連邦制が廃止されカメルーン連合共和国が成立、1984年に国名をカメルーン共和国に変更しました。

日本とカメルーンの関係

カメルーンと日本は、1960年にカメルーンが独立したときに日本がそれを承認し、国交が始まります。1988年に駐日カメルーン大使館が、1991年に駐カメルーン日本大使館が開設されました。以来、友好的な関係を保っています。

政治関係

1973年に非公式ではあるもののアヒジョ大統領が来日しています。

近年、要人の往来が活発化しつつあり、2006年にポール・ビヤ大統領が来日し、小泉純一郎総理と首脳会談を行いました。

2014年5月には第五回アフリカ開発会議出席のため、岸田文雄外務大臣がカメルーンを訪問しています。

2019年10月に行われた即位礼正殿の儀にジョゼフ・ディオン・ングテ首相が出席しました。

日本はカメルーンに対しODAを行っており、教育、水道やラジオなどのインフラ設備の開発を支援しています。小学校のモデル校建設は現地で「日本の学校」と呼ばれています。

サッカーをきっかけとした交流もあります。2002年に日韓ワールドカップが開かれた際にカメルーン代表のキャンプ地となった大分県中津江村は、カメルーンのメヨメサラ市と友好親善協定を締結しています。中津江村は2021年の東京オリンピックの際もカメルーン代表の事前合宿先となりました。

経済関係

カメルーンにとって日本は第3位の貿易相手国です。
日本はカメルーンに機械類・輸送機器、自動車、繊維、医薬品、ゴム製品などを輸出しています。
カメルーンは日本にアルミニウム及び同合金、木材、ココアなどを輸出しています。
貿易収支は日本の黒字です。

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