2022 FIFAワールドカップ出場国について調べよう~モロッコ編~

こんにちは、家庭教師みつけ~るの服部(ふくべ)です。今年はワールドカップイヤーですね。SAMURAI BLUEの活躍が楽しみです!
ところでワールドカップには様々な国が出てきますね。良い機会なので、全部で32国の歴史などを学んでいきたいと思います。

今回は、グループFのモロッコについて紹介していきたいと思います。

モロッコの基本情報

公用語アラビア語(公用語),ベルベル語(公用語),フランス語
首都ラバト
面積44.6万km²
人口約3,603万人
通貨モロッコ・ディルハム
宗教イスラム教(国教)スンニ派
政治体制立憲君主制

モロッコ王国はアフリカ大陸の北西部に位置しています。東側はアルジェリアと、南側は紛争地域である西サハラと接しています。また、スペインの海外領土であるセウタとメリリャとも国境を接しています。北はアルボラン海、西は大西洋に面しています。
北部や西部は地中海気候に区分されており、比較的過ごしやすいです。南部はステップ気候や砂漠気候に属しています。

首都・ラバドには政府機関がおかれるとともに、各国の大使館が立ち並んでいます。ラバドはイスラム王朝の建物が残る歴史的な街並みと、植民地に近代化された町並みとが共存することから、世界遺産にも登録されています。
最大の都市はカサブランカで、世界第94位のアフリカ有数のグローバル都市として、商業・金融の中心地となっています。名作映画『カサブランカ』の舞台となった町としても知られています。

モロッコの政治体制は立憲君主制で、元首は国王です。国王は軍の最高司令官であり、議会解散権・条約批准権なども認められています。
議会は二院制で下院は直接選挙、上院は間接選挙によって選ばれています。

主要な産業は農業、水産業、鉱業、工業、観光業です。
モロッコはアフリカ屈指の水産国で、タコ、いわしなどをヨーロッパや日本に輸出しています。また、国民の37パーセントが農業に従事していて、トマト、豆、かんきつ類などを生産し輸出しています。インゲン豆の一種は日本でモロッコインゲンと呼ばれ親しまれています。

モロッコの歴史

古代

紀元前814年にカルタゴが成立すると、モロッコの地に交易のための港湾都市が築かれます。
ポエニ戦争によってカルタゴが滅びると、それまでカルタゴが支配していた地はローマ帝国の支配下に入ります。
ローマ帝国が衰退した7世紀頃からアラブ人が流入しはじめます。8世紀初頭にイスラーム帝国のウマイヤ朝によって支配されるようになり、モロッコの地はイスラム化していくこととなりました。

イスラム朝による統治

中世のモロッコでは、イスラム王朝が入れ替わるようにして成立します。
1660年に現在のモロッコ王室に続くアラウィー朝が成立すると、モロッコは安定的な時代を迎えます。一時分裂するものの、ムハンマド3世によって再び統一されます。ムハンマド3世はヨーロッパと友好な関係を築く努力をし、各国と通商協定を結びます。アメリカが独立を果たすと、1777年に世界で初めてアメリカ合衆国を承認しました。

フランス・スペインによる支配

欧州国家による植民地支配の波は、モロッコの地にも押し寄せてきます。1856年にはイギリスと不平等条約を結ぶこととなり、1859年にはスペインとの間にスペイン・モロッコ戦争が勃発しました。その後フランスが進出を開始し、1912年のフェス条約で国土の大半がフランスの保護領となり、北部地域はスペイン保護領モロッコとなりました。これを受けたモロッコの人々は独立を模索し、スペイン保護領モロッコでは第三次リーフ戦争が起こります。スペイン内戦のときには7万人ものモロッコ人が反乱軍として戦いました。

独立と現在までの歩み

第二次世界大戦後に脱植民地の動きが加速してくると、1956年にフランスから独立します。スペインも一部の地域を除き、モロッコ地域に持っていた所領を手放します。
1957年にスルターン・ムハンマド5世が正式に国王となりました。1961年にサハン皇太子が即位すると、1962年に憲法が制定され、立憲君主制国家となります。
その後は内政の不安定化や領土問題などが起こり、西サハラ問題は現在でも未解決のままです。

日本とモロッコの関係

モロッコと日本の国交は、モロッコが独立を果たした1956年に樹立されます。1961年10月に駐モロッコ日本大使館が開設され、1965年11月に駐日モロッコ大使館が開設されました。2016年に国交樹立60周年を迎え、友好な関係が続いています。

政治関係

日本はモロッコにとって第2位の援助国家となっています。

2009年以降、定期的に「日・モロッコ合同委員会」が開催され、モロッコと日本の関係の強化や、地域情勢などについて意見が交わされています。

東日本大震災が起こったときは、モロッコ大使館によって支援ミッションが行われ、会津若松市に支援物資が送られました。

王室と皇室の交流も行われ、ムハンマド6世は、1987年 1988年 、2005年の3度にわたって日本を訪問しています。

経済関係

日本はモロッコに乗用車,産業用車両,機械類を輸出し、モロッコは日本に魚介類(タコ,イカ等)、電子部品、燐鉱石関連、寒天などを輸出しています。特にタコは、モロッコから日本に輸出される農林水産物の42.5パーセントを占めています。
貿易収支は日本の黒字です。

モロッコはアフリカ諸国の中では比較的裕福な国で、今後ビジネスが発展していくと考えられています。日本からモロッコへの直接投資額は2018年に大幅に増額され、1億6436万ドルにのぼっています。

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